2012/05
09
[ #386 ]

戯言 5月 社交

 その手の話題、時折アップしますのでご存知の方は有られると想いますが、数年前から細々と社交ダンスを習っております。


 ”何故社交ダンスを?”と聞かれる事・・・・。
 確かに、何故?社交ダンスを習う事にしたのか?

 理由は色々と有りますが、大きな理由の一つとしては「社交」という事柄について考える切っ掛けとしたい、或は体感してみたいといった事です。

 酒という代表的社交ツールを扱わさせていただいておりますし、バーという社交空間を遣らせていただいております故・・・。
 にも拘らず、かなり社交性に欠けている性格ですし・・・。
 


 ではダンスを習って「社交」という事が幾らかでも理解出来たのか?


 理解出来たかどうかは判りませんが、私なりに感じた事は幾つか有ります。

 その一つ、社交の場、空間においては、「お約束」と言うものが厳然と存在するという事。
 (マナーとか、ルール、或は、決まり事、作法、基本、基礎、律、・・・等と呼んでも良いかも知れません)

 例えば、以前より細々と続けておりますエアロビクスダンス等ですと、周りの方々を危険にさせなければかなり自分なりに動いて問題無い気がします。基本的に個人的な活動ですので、自分が動きたいように動いて問題ないのですが、社交ダンスではそれは全く通用しないという事。

 ”私はこんな風に踊りたい!のだ” なんて、全く通用しない。
 何せ相手がありますから。
 ワルツにはワルツのお約束が、タンゴにはタンゴのお約束が、ルンバにはルンバの、チャチャチャにはチャチャチャのお約束が有るという事。

 特定のパートナーとのみ踊るのであればそれも少しは通用するのかも知れませんが、パーティー等で不特定多数の方と踊る場合は全く通用しないという事。これを実感させられました。

 と言いますか社交の場、社会的交流の空間において、それがスムーズに行われる為に「お約束」が造られた、と言っても良いかも知れません。

 僕が僕が、私は私は、といった主観的、一人称的な考え方は通じない。


 何と不自由な!と言われるかも知れませんが・・・。でも実際世の中、そんな物の様な気もします。

 高速道路を走るときは高速道路のお約束が、一般道には一般道のお約束が(道交法以前の問題として)、公共の場には公共の場のお約束が有る様に・・・(成文法以前に)(不文律として)。
 (或はジャズにはジャズのお約束が有る様に、と言っても良いかも知れませんが・・・)

 それに、やってみればそれ程不自由でもないのです。
 お約束(基本)さえ外さなければ、後はどんなフィガーを組み合わせるかは、個人個人の勝手ですから・・・。

  

 それともう一つ感じた事・・・。

 私は男性なのでリーダーとなるのですが。リーダーはパートナー(女性)をリードする義務が有るという事。
 主導権を取る責任が有るという事。

 そして、その難しさが有るという事。

 主導権を取る事の難しさ、義務感、覚悟、怖さ等々・・・。またそれ故に付いてくる快感。
 勿論女性には「相手に主導権を与える、取ってもらう」事の怖さ、難しさ、覚悟・・・・、そして、それ故の快感が有る様に想えます。


 もしかすると社交ってそんな物なのかも知れない・・等と現時点では感じております。
 お約束の存在と、主導権を取る覚悟、与える覚悟・・・・。そんな物。


 またこれは別にダンスの話だけでは無い気がします。

 遊びの空間・・・・。例えば・・・。 
 バーにはバーのお約束、居酒屋には居酒屋の、寿司屋には寿司屋の、スナックにはスナックのお約束が有りそうですし、主導権の存在も有りそうです・・・。

 それに、そうした空間に限らず人間が2人以上集まれば、常にそうした事は内包されていそうです・・・。

 そんな事を想います。


 唯、最近ではこのお約束ってヤツ。少し壊れてきている気もします。
 法律(成文法)に書いてない事は、何しても良いんだ・・・。といった雰囲気・・・。

 私が出来ているとは言いませんが(なにせ、社交性欠如気味です)、このお約束ってヤツ、これが文化とか知恵ってヤツの正体かも知れませんね。 

 

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