2012/06
16
[ #396 ]

ビールのはなし 2

 農耕が起こり穀物が定常的に生産・貯蔵される事と成り、その穀物(麦)から造られる酒(ビール)も通年醸造可能となり、社会の中心的なアルコール飲料の座に着いた・・・。といった事を書きましたが・・・。
 ではその後、この農耕の原初の地であるメソポタミア、エジプト等でビールはどうなったのか?


 エジプトに関しては、その後もローマの支配下に入るまで王家を中心に頂いた農本主義的社会でしょうから、各種のビールがアルコール飲料の中心として飲まれていたように想われます(ワイン、ミード酒等も、ある程度飲まれていたようです)。

 一方メソポタミア周辺。勿論ビールがアルコール飲料の中心ではあったのでしょうが、エジプトとは少地政学的に少々異なり、東西の結節点にある事が、社会的にも飲酒行動にも影響を与えたのでは無いかと想えます。

 どういう事か?
 メソポタミアの農耕文化を作ったのはシュメール人といわれていますが、その後バビロニア、アッシリア等の王国の成立を見る事になり・・・。詰まりは色々の異なった人種が出会い、混ざり合う様な現象が起こったのではないかと思える事です。
 そして、昔世界史で習った”ハンムラビ法典”。その中に当時のビールの事を規定した条項が幾つか有るようです・・・。


 例えば、

 ・酒場の女主人がビールの代金を穀物ではなく銀貨で受け取ったり、質の悪いビールを客に高く売りつけた場合は「溺死」の刑。”
 なんてのがありまして。
 これが私の興味を引くのです。


 この条項から判る事。

 先ずこの時期(紀元前1700年位)、既にバビロニアにビールを飲ませる酒場が成立している事。
 酒場という物が成立するような都市が誕生していた、といっても良いかも知れません。


 それから、銀貨の流通も始まりつつあったという事。
 しかも、何故か酒場では使えないという事。

 この辺りの条項から、私はこの時期に異なった価値観を持つ人々が狭い地域に集まる空間。詰まりは「(ある種現代的)都市」が成立していたと思える訳です。

 其処に銀貨を積極的に使用する。ある種の「商人」が活躍している事も。

 また同時に人々の内に、その貨幣(銀貨)という物に違和感を覚える意識も存在していたのでは無いか?という事。

 そして其れ故、「酒場」という雑多な人々が集いかつ酔っ払うという、ある種プリミティヴな空間では、銀貨の使用が問題視されたのでは無いのか・・・・?

 こんな事を想像します。

 
 違った言い方をすれば、多様な価値観を持つバビロニアという多民族国家が成立した事に拠り、「ハンムラビ法典」という”成文法(LOW)”が必要とされ、生み出されたという事(恐らくは、最古の法典であるウル・ナンム法も同様に)。
 
 そしてこれが、後のギリシャ~ローマ~中世~近代ヨーロッパ~現代(グローバリズム、世界国家・国連)へと繋がっていく嚆矢であろうという事。


 一方でエジプトは、貨幣というある種不自然な(汚れた)存在を積極的に使う人々(貨幣によって他者や社会を支配しかねない人々)、詰まりヘブライ人(のちのユダヤ人)をオミットする事で、ある種古典的な農本主義的社会を守っていったといえるのかも知れません。



 何だか、ビールの話が変な方向に行ってしまいましたが・・・・。
 しかし人類の歴史、この「貨幣」という不自然でかつ強力な存在とどう付き合うか?という足掻きの記録なのかも知れない、等と想ってしまいます。

 たまにはビールを飲みながらこんな事を考えるのも楽しいかも知れませんよ。

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