2012/08
05
[ #411 ]

戯言 8月 オリンピック

 オリンピック、盛りの様ですね。ニュースもオリンピックの事ばかりと思えます。
 しかし、年々オリンピックの雰囲気も変わって来た様な・・・?

 良く言われていた「オリンピックは勝つ事では無く参加する事に意義がある」といった論説も語られなくなった様に思えます。

 そもそも、(近代)オリンピックとは何なのか?

 クーベルタン男爵が提唱し、1986年アテネで第一回が開催された国際的スポーツの祭典。と言うのが一般的答えでしょう。

 では何故その時期に男爵が提唱し、各国に認められ開催される事になったのか?
 
 男爵の提唱したオリンピックの精神「オリンピズム」には、「スポーツを通して心身を向上させ、国籍等の様様な差異を超え、友情、連帯感、フェアプレーの精神を持って理解しあう事で、平和でより良い世界の実現に貢献する」 とあります。

 詰まりは”オリンピックを開催する事に拠り、世界平和に貢献出来る”と、男爵等、開催に努力された方々は思っていたという事なのでしょう。
 逆に言えばこの時期の世界、平和が壊れそうな時期であったという事かも知れません。
 19世紀後半は帝国主義隆盛の時代とも言われます。
 アヘン戦争、露土戦争、普仏戦争、日清戦争・・・・・。


 では何故、帝国主義の隆盛が起こったのか?

 理由は色々と考えられそうですが、フランス革命等に拠る神聖ローマ帝国の実質的解体(カトリックの威信低下)、詰まりはヨーロッパという枠組みが壊れ(かけ)たという事。
 同時に生まれた民族国家(或は帝国)。
 また産業革命に依る生産の拡大~デフレ~市場(植民地)獲得競争。


 では何故男爵たちは、スポーツを行う事が平和に繋がると考えたのか?

 マッチ・ウェンロック・オリンピックがヒントになったという説があります(これにはイギリスの産業革命がもたらした残酷な社会に対抗する為の自助論辺りの影響も有りそうですが・・・)。 
 私としては其れよりも、以前から英国にあったスポーツと言うもの力(或は社交性)に期待した面が大きいのでは無いかと想像するのですが・・・。
 
 100年戦争終結に拠り、英国では相対的に王室の力が弱まり、地方貴族(領主)の力が強まった・・・。
 そうなると、お隣同士の地域どうしやその領主って、どうしても争い易いし疑心暗鬼にも成り易い(家や国でもそうでしょう)。
 そうした状況の中、戦に至る事を回避する手段として、領主同士の社交としてのスポーツが英国で発達したのではないか?と想像するわけです・・・・。


 では何故、スポーツという社交に拠り戦争(争い)が回避され易いのか?

 争いの要因の一つとして大きいのは、互いの疑心暗鬼や信頼感の欠如だと思うのですが。
 では、相手に信用して貰う手段として何があるのか?
 言葉を弄すること自体では余り効果は無い気がします。
 我が国だと、究極は切腹。命がけで身の潔癖を証明するという作法に行き着くのでしょうが・・・。


 そこでスポーツ。特に危険なスポーツ。

 例えば、ボクシング。

 殴り合いという、場合によっては生命の危険さえ伴う究極の状況。そんな状況でさえ、ちゃんとルールが守れるか?
 殴り合いの”恐怖”の中でさえ、ナックルで相手の上半身の前側面のみ殴打する事意外は行わないという意思の強さの証明。
 敗れそうになってもルール違反をしないという事で、自身が卑怯者で無いことを証明する行為。

 ラグビーなんてのもそうした要素が強かった様に思えますし、命がけの危険なスポーツ程、己が信用に値する人間だと証明され易いと人々は感じたのでは無いかと思えます。

 またゴルフの様に自己申告の競技、詰まりは、ズルをしようと思えば幾らでもズル出来る状況に於いてさえ、ズルをしない。これも似たような効果が有る様にも思えます。
 (古代以前、人類が採集主体の生活をしていた当時から続く遊戯的戦争との類似、なんて話を広げても良いのですが・・・・)

 話が長くなりましたが、兎に角男爵等はこのスポーツの持つ力、社交性に期待したのでは無いかと思えるのです。


 では近代オリンピックは成功したのか?


 少なくとも戦争の回避という面では失敗でしょう。まもなく第一次世界大戦が起きる訳ですから。

 更にその後はヒトラーのベルリン大会や、戦後のステートアマの問題の様に国威発揚の手段にされたり、80年のモスクワ大会の様に露骨な国際政治の道具にされたり(そういえばミュンヘンでのテロなんてのも・・・)。
 そして84年のLA大会以降は露骨なショービジネスに・・・・。
 (現代では殆どのスポーツが、産業やビジネスとなっている様にも思えます・・・)


 何故、近代オリンピックは戦争回避、平和構築という面で失敗したのでしょう・・・。 
 やはり、昔の英国とは時代が違ったのでしょうかね?
 農本主義の世界なら、其れはそれでスポーツの社交性は力を持てた様に思えます。
 近現代の資本のドラスティックな残酷さに対抗する術にはなり得なかったという事なのでしょう・・・。


 そして今後もますます、ショー化、商業化を突き進むのかも知れません。

 ロンドンオリンピックのニュースに触れ、そんな事を思います。

 

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スポーツ
ご無沙汰です。ばたばたしておりました。

オリンピックですね。トルコは発祥地のギリシアとあまり仲がよくないのであまり話題にもなりません。

私はスポーツ観戦があまり好きではないのでオリンピックも国際競技もやや冷めた目で見ています。

ここでの戦争回避に意味は、オリンピックやワールドカップそのものが代理戦争の意義を持っているからだと何かで読んだことがあります。教育、訓練、統率、管理、なるほど選手に対する扱いは軍隊へのそれとよく似ているようにも思えます。
おっしゃるとおり、開催地には各国の要人やエージェントが集まり軍事外交の場になります。二年後の冬季オリンピックはロシアのソチで行われますが、ここは昔からのKGBの拠点で、ここに誘致できたということは中東地域でのロシアの発言権の高まりを示しています。そう思ってしまうとやはり競技をに熱いまなざしで見守る気になれないというか、まあ大げさでしょうけど(笑)。

人間は鍛えればバネになる、なあんて言葉がありましたっけ。でもバネにはバネの、人には人の仕事があると思います。人の体は50kmを二時間で走ったり空中うんたら回転をするためには作られていない筈、必ず障害を起こします。こと女性に関しては無月経症という人にとっての大問題がおこります。感動を求めてこれをショーにしてしまうことにはやはり抵抗がありますね。

12時すぎに あやみ さんから

2012/08/09(木) | URL | #-

2012/08/09 - ■■■

 あやみ様、何時も素晴らしいコメント有難う御座います。
 元来、スポーツの基と成った、祭等の行為。男が己の遺伝子の優秀さや大人としての力を、他の男達や女達、あるいは自然に対し証明する行為だった様に思えるのですが。そうなると、特に女性のスポーツ競技には更に一層、現代という時代やショー的要素が表出している様に思えます。
 また、今回のロンドン大会、あえてラマダンあわせて開催時期を決定したという話も聞きますし、ショービジネスと同時に政治性を感じさせられる大会の様にも思えるのは私だけなのでしょうか。

 有難う御座います。

12時すぎに ますた さんから

2012/08/10(金) | URL | #-

2012/08/10 - ■■■

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