2012/09
21
[ #423 ]

日本の酒のはなし

 前回、米の酒は古代揚子江周辺で醸し始められたのが原初では無いか?等と書いたのですが・・・。
 では我が国では?

 

 原初的果実酒に関しては縄文中期から既に造られていたでしょうが、では書物に登場の酒はとなりますと・・・。

 良く語られるのは、”魏志東夷伝倭人の章(俗に言う魏志倭人伝)”に出て来ます、 「~蹲踞を以って恭敬となす。人の性は酒を嗜む。寿孝多く、~」
 の部分では無いかと思います。

 では、この酒はどんな酒であったのか?
 これ以外にヒントが無いので推察するになりますが・・・・・。


 先ず気になるのが、”人の性は酒を嗜む”の記述。

 これから想像出来るのは、当時の”倭人”、結構、常態的に酒を飲んで居たのでは無いかと想像出来る事。
 少なくともこの記述者、あるいは当時の倭人の風俗を観察した人間の眼にはそう写ったであろうという事ですよね。

 となると、季節性に左右されやすい果実酒の可能性は低いのではないかと思えます・・・。

 まあこんな面倒くさい事を書かなくても魏志東夷伝、3世紀の日本に関する記述でしょうから、既に我が国に稲作(水田)の定着した時期ですしね・・・。(吉野ヶ里遺跡等の時期かな・・・)
 米から醸された酒と考えるのが妥当の様にも思えます。勿論、稗、粟等の雑穀の可能性も否定出来ないとも想えますが、それでもやはり私としては米の酒の可能性が高い気がします。


 ではこの米の酒をどうやって造っていたのか?
 米(穀物)から酒を醸すには、糖化という工程が必要とされますがそれはどうしていたのか?

 勿論記述は有りません、が、私は口噛みの酒だった可能性が高いのでは?なんて想像しています。

 理由は色々有りますが、長くなりそうなのでまた次回にでも・・・・。
 

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