2012/10
27
[ #432 ]

日本の酒のはなし 2

 前回、魏志東夷伝倭人の章で書かれている酒は、口噛みの酒の可能性が高いのでは?なんて書いて尻切れトンボにしていたのですが・・・。
 何故そう想うのか?という事です。

 先ず我が国(日本列島)に米造りが如何なる形で伝播したか?という事ですが、現在、大きく分けて2つのルートが言われている様に想えます(勿論細かくいいますと、幾らでも細分化出来そうですが・・・)。

 その2つ、中国南部等からの直接的伝播、朝鮮半島周辺経由の伝播、と言えそうです。
 それぞれどういった理由、経路でそうなったのか?



 ここで一寸話が横道に逸れますが・・・。

 そもそも倭人とは何ぞや?という事。

 どうも漢書辺りに記される倭人とは、日本列島に居住する人々とは思えません。

 此処から私の妄想が広がります・・・。

 古い時代に中国で倭人と認識されていたのは、揚子江周辺、雲南省辺りの米作民族の様に想えます。
 そしてその倭人、黄河文明”周”の拡大(南下)等に拠り南に移住を余儀なくされ、福建省とか現在のベトナム(越)方面へ移動。ここから琉球弧等を通って米作が伝播したルート。
 或いは揚子江南部から船で直に。

 もう一つ、雲南周辺に留まった初期の倭人が後に”呉”に吸収され、その後、呉の滅亡と共に遼東半島経由~朝鮮半島経由にて日本列島に至るルート、それに拠り米作や酒造技術が伝播したと想えるルート。

 勿論他にも色々有りそうですが・・・。

 例えば始皇帝の秦の中国統一の過程に拠る迫害や混乱圧迫等(また、その前の春秋戦国の混乱)から逃れ、大量に日本列島への渡来が有ったのも事実でしょう・・・。
 更に徐福に率いられた秦人の大量移住・・・。(5世紀にも有ったとか・・・)


 で、魏志東夷伝の酒を嗜む人々は?という話にもどしますと・・・。
 この人たちは、結構南方(ルート)系の文化、遺伝子を色濃く伝える人々では無いかと思えるのです。

 それは同書にて倭人の風俗を記した部分、特に「男子は鯨面・分身し~」辺り・・・。(他にも色々有りますが・・・)
 この鯨面、顔にする刺青(彫り物)ですが、これってベトナム周辺等の山岳少数民族等に今でも有るとか、また南方系の海洋民族にも似た物が有ったり・・・。

 宮古とかの漁労民の各種の刺青なんてそんな物でしょう。
 古い時代の瀬戸内の漁労民等にも有ったようですし・・。
 (海の龍=出雲神話のワニ=鮫、避けの意とかも在るのでしょう・・・・)

 かなり短絡的ですが、この辺りから当時日本列島に居住していた倭人、南方の影響が濃く想われます。

 で、この南方文化の米作の酒、やはり口噛みの酒の可能性が高い気がするのです。


 沖縄(琉球)や奄美では、祭等で出される酒、神酒(噛み酒)にはその文化も伝承されているようですし・・・。

 また本土でも、祭の酒は、元々噛み酒であったという話も有りますし・・・。

 そういえば古事記辺りにも噛み酒の記述は残っていた様な・・・(一寸記憶があいまいですが、申し訳ない)。



 この噛み酒、飯を口で噛み(アミラーゼに拠り澱粉を糖化)、それを吐き出した物を集めて発酵させて造るのですが・・・・(そこで、米を長い時間噛み続けると痛くなる場所が、”こめかみ”)。
 現代だと、えっ?人が一度口に入れた物を飲むの? なんてなりそうです・・・。

 ん~。確かに・・・。

 でもだからこそ米を噛む役目は(恐らくは美しい)処女(おとめ)だったのでしょう・・・。
 そういえば西洋でも、収穫したワインを足で踏むのは、処女(おとめ)の役割でしたしね・・・。
 (何処かのワイナリーで女子高校生足踏みのワインなんて出したら、マニアに受けそうな気もしますが?食品衛生法に引っかかるか?それ以前に世論に叩かれる? 笑 )


 相変わらず話が脱線気味。放って置くと卑弥呼が~邪馬台国が~、なんてなりそうなのでこの辺りで・・・。


 まあそんなこんなで魏志東夷伝の酒は口噛みの米の酒では無いかと想ってます。

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