2012/12
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[ #448 ]

中国の酒のはなし 3

 黄酒(紹興酒の基)が誕生したのは、中国に於いて南北の文化の交流が盛んに成った事に拠る面が大きいと想われる等と書きましたが、そうした面や他の面でも、始皇帝の秦の建国(中国統一)がその後の中国に与えた影響は非常に大きいと思えるのです。


 では、この国家統一とは何であったのか?或はどの様にして行われたのか・・・。

 色々と考え方は有りそうですが・・・。

 先ず一つ、酒絡みで言えば奉山の封禅の儀。
 (酒を供えるのですが、歴代の儀に使われた酒のレシピが判らず、黍酒を濾した物を使ったなんて話があります)

 これは、封(天)=祭(まつり)ごとの長に付く事、禅(地)=政(まつりごと)の長に付く事で在った様に思えます。


 他、度量衡の統一。(これは、長さ、重さ、容積の単位の統一。)
 また、文字の統一・・・・、等々。


 何が言いたいかと言いますと。
 始皇帝の中国統一(秦の建国)は、今で言う”グローバリズム”の達成では無かったか?と思える事。

 当時の中国、異なった文化を持った多くの民族からなる多民族地域であった(今でも中国はそうした面が有りそうです・・・)、それをグローバリズム的手法で一つの国家としたという事。

 例えば度量衡の統一は今で言えばISO規格みたいな物でしょうし、文字の統一はアルファベットの普及・・・。
 
 しかしそれ以上に大きかったのは、価値の単位の統一では無いかと想われるのです・・・。

 半両銭への貨幣の統一。
 価値を計る単位を、貨幣に統一したのでは無いかという事・・・。


 言い換えれば、銭金に対抗する価値。これを唱えていた儒教(儒学)等に対する焚書等。
 (尤も儒教自体が、貨幣の誕生により引き起こされた戦国時代に荒んだ世界に対しカウンターカルチャーとして誕生したとも言いえそうです)

 グローバリゼーションですね。(と言いますかグローバリゼーションとはこういった物でしょう)

 そしてそれは、その後の中国、そのメンタリティーに多大な影響を残している様に想われる訳です。


 例えば漢帝国の終盤から三国時代。
 そう、三国志の時代・・・。(日本にもファンが多そうですが・・・)

 この時代、中国では戦乱・混乱に拠り人口が激減したといわれています。(1/3~1/10位迄に・・・。)(現実には1/4位にか?)

 4人に3人が死んだ時代。

 目先の金・食料の為に簡単に人が死ぬ時代。
 仏教的な言い方だと、現世が(阿)修羅界、地獄界と成った様な時代。
 (それは、隋による仏教というカウンターカルチャーの導入に拠り、平穏を取り戻すのでしょうが・・・)

 
 何をダラダラと書いているかといいますと(酒の話は何処へ行った?)、そうした修羅の時代にどう生きるか?という例の一つとして登場するのが”竹林の七賢”という存在では無いかと想う訳です。

 詰まり、肆意酣暢(しいかんちょう)という(飲酒)スタイル・・・。

 
 現代日本では”竹林の七賢”といった者に対する評価は否定的な物が多そうに思えます。
 無責任であるとか、現実逃避であるとか、お気楽、現実離れ・・・、肆意酣暢って結局我儘に酒飲んでるだけでしょ・・・等々。

 
 確かにそうかも知れません。

 しかし私としてはそれもアリかとも想う訳です。
 

 例えばこのブログでたまに取り上げます”遊郭”。

 我が国に作られた初期の遊郭(戦国末期~江戸初期)が手本にしたのは、中国の遊郭・楼閣といった物でしょうし(数年前に訪れた事の有ります上海の”豫園”もそうした物でしょう)、それらは都市部に七賢の”竹林”を現した物といえそうです。

 そうした見方をすれば、東アジアの飲酒文化、遊び文化が求めた物、その理想形の一つが”肆意酣暢”に有りそうに思えるのです。
 (自然体で酒を酌み交わし、哲学、文化に興じる)
 (古代ギリシャのシュンポリオンもそうした飲酒形体に思えます)


 重ねて言えば私自身、自分の店(バカナリヤ)に隠遁している様な物ですしね・・・・。(賢者というタイプでは無いですが)
 当然、肯定ですね・・・(笑)。


 長くなりましたが”七賢の酒”。飲酒という行為を考える場合には外せない気がしますし、今一度、考えても良い対象にも思えます・・・。
 (三国志の時代に、肆意酣暢という飲酒文化が誕生したという事がテーマでした)

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