2013/02
16
[ #464 ]

冷血

 先日、お客様が貸して下さった本。

             画像 013

 

 
 興味深く読ませていただきました。

 私好みで印象深かった事や、TV等で変なニュース(グアムの事件)等も目にした事もあり少しばかり読後感をアップしてみたくなりました。


 著者の高村薫の作品、独特の濃い書き込みで男性作家かと思えるような印象ですが、著者の・マークスの山 ・レディージョーカー ・照柿 ・太陽を曳く馬(未読) に続く合田雄一郎刑事のシリーズの最新作です。

 一応は連続刑事小説シリーズと成るのかも知れませんが、そうしますとエンタテーメント小説といった印象になりそうです。しかし本作品、そうした印象は薄い気がします。

 といいますか、この合田刑事のシリーズ、巻を重ねるごとにエンタテーメントから文学作品的な物に移行している様に思えます。

 エンタテーメント小説と文学作品、或いは純文学の境をどうするか?といった意見も有りそうですが、大雑把に言えば、楽しく読めてストレス解消といった作品がエンタテーメントで、著者の思索の過程なり結果を物語という形式を借りて表現しているのが文学作品、文学性や文章的技巧に重点を置くと純文学・・・。
 こんな感じで漠然と考えてます。


 そこで本作(冷血)ですが、エンタテーメントとして読むには後半の合田刑事の(或いはそれを借りた著者の)思索の書き込みがしっかりし過ぎな感じで(それはそれで私好みではありますが)、ストレス解消、スッキリといった読後感には成り辛い気がします。

 それと同時に、主犯格の「井上克美」の行動に納得出来るか(リアル感を抱けるか・感情移入できるか)?といった面でも、エンタテイメントとしては中々難しい気もします。

 私自身は十分リアル感も持てましたし、故に興味深く読めましたが。
 またこの辺りが、この作品の重要な部分にも繋がりそうにも思えます。



 では主犯格「イノウエカツミ」は、何故こんな犯罪を犯したのか?

 私なりの解釈ですが・・・。



 この主犯格(また共犯者も)、基本的に一人であるという事。

 言い換えますとどの枠組みにも所属していない、どのような世間、組織にも帰属意識を持っていない人間として書かれている気がします。

 家族、会社、地域共同体、友人関係、趣味のグループ・サークル・・・等々。

 (以前、このブログどこかにも書きましたが)結局人の生活や社会って、枠組みが意味を決定する面が強い訳で、どの枠組みにも帰属しないという事は、生きる意味を見出す事が困難に成るという事。
 言い換えれば、生きるという事が”死”を迎える迄の壮大な”暇つぶし”になってしまう可能性が強いという事。
 また、基本的に現代の個人主義(民主主義と言い換えても良いですが・・・)はそうした人間、個人を生み出しやすいという事。


 勿論、この作品の犯人2人も食うために仕事(住み込みのパチンコ店員、新聞配達員)はしている訳ですが、それはあくまで食うためであり、そこに意味は見出せていない。


 またこうも言えるかも知れません。何らかの枠組み(人間関係)に所属するという事は、すべき事(義務)が生じるという事。
 枠組みに所属しないという事は、すべき事(する事)が見出し辛くなるという事。

 ”する事が無い”という事は、それはそれで非常に不安定に思えます。


 そこでこの主犯格が選択したのが、「パチスロ」という行為。(これは、重要に思えます)
 (またGTRで走るという行為も似た意味を与えられているようです)

 「パチスロ」を打つという行為。(私は一度もしたことは無いですが)
 パチンコ屋に入り、台を選んでその前に座った時点で”する事が出来る”という事。

 機械的にコインを投入し、レバーを叩いてドラムを回し、ボタンを押してドラムを止める。と言う行為(義務?)。
 そしてその結果として、少しばかりの能力(台を読むとか、目押しが出来るとか、設定を推理するとか・・・)(現実社会では役に立たないであろう能力かも知れませんが)と「運」があれば、まれに多くのコインを得る事が出来る。

 (速い車で走るという事も少し似ているかもしれません。アクセルを踏み込んでそれなりのスピードに達すれば、機械的に体を動かさないと、事故りますからね・・・。)

 
 何が言いたいのか?といいますと。

 この犯人。それこそ「パチスロ」を打つように強盗殺人を行ったという事。

 「パチスロ」を打つ事を決める様に犯罪を犯す事(何か大きい事をする、スカッとする事をする)を決定し、パチンコ屋を選ぶ様に盗みをする事を決定し、台を選ぶ様に被害者宅を選び、コインを投入する様に勝手口をこじ開け、レバーを叩いてドラムを回すように被害者を殴り、ストップボタンを押す様に二階を物色し・・・、そして運良く残高の多いキャッシュカードを手に入れた。
 更に景品を交換する様に、現金を引き出した。

 唯それだけである、という事。

 (金は有っても無くても良い、パチスロで勝てば嬉しいが、得る金の高自体がそれ程重要な目的では無いと同様に)
 


 そして、現代の日本はこうした犯罪がおき易い状況になったという事。

 たいした意味も無くホームレスを襲撃したり、誰かを虐めて自殺させたり・・・。人を刺してみたり・・・。


 (下巻のテーマは、こうした犯罪に対し司法や検察機構、警察は何が出来、また出来ないか、している行為に意味はあるのか・・・?といった方向なのでしょう)


 この本を読んで私自身、結構、身に詰まされたり・・・。

 この本を読んだと言う行為も、単なる暇つぶしかも知れませんし。こうしてブログ書いている行為も同様に・・・。

 ではどうするのか?(そんな事をここに書いても仕方無いので書きませんが。)


 そうした事を考えさせられた本でしたね。


 結局この本が書いているのは、枠組みの力が弱まり、意味が薄まった現代において(或いは自我が発見された現代に於いて)、生きる意味(或いは死)をどう整理するのかということかも知れません。


 西洋ならば一神教に縋るというのが定番でしょうが、我が国においては・・・。(ひたすら、上昇、自己拡大、力、金を得る事を目指すのですかね・・・・?)


 結局、自分で目的なり、生きがい?なりを見つけるし無いのですがね・・・。そうすれば”すべき事”も出来るでしょうから・・・・。

 くどくなりました・・・。

 

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