2013/04
19
[ #484 ]

戯言 4月

 以前からこのブログを覗いて下さっている方や、バカナリヤのカウンターに座られた方は、何故か話題が”昔の遊郭が云々~、色町が云々~、といった方向に行きたがる事と想っていらっしゃるのでは?


 バーのブログで色町が~、なんて事を書く必要も無いですし、バーのカウンターの話題が遊郭云々というのも変ですよね・・・。
 素直に酒の話でもしておけば良い訳で・・・・。

 何故、こんな事に成ってしまったのか・・・。
 一寸、言い訳がましいですが少しばかり記してみますと・・・。


 今から十数年前、店を開店した当時に良くして下さる日本料理屋の大将がいらっやいました。
 その方のお話で、
 「現在の日本料理の原点、基本的な形式という物は室町時代に成立した茶の湯の文化にあり、その茶の湯で供される料理、懐石料理(茶懐石)が基と成っている。
 また、そこから現代にかけて日本料理というもの、その茶の湯の精神、哲学等を継承しつつ少しづつ進歩を続けて来ており、その先に今の日本料理が在る。
 それ故に握りずし、天麩羅、すき焼き等、代表的和食とされる物も、正当な日本料理の範疇に入るかというと微妙で有る。云々・・・。」
 といった事をお聞きし、私自身非常に納得する事もあり、又、感謝致しました。

 と同時に、では”日本のバーの原点となる物、あるいはその形式、哲学の原点となる物は何ぞや?”という疑問も抱いた訳です。(日本料理の茶懐石の様な物)
 
 そこで自分なりにバーの歴史等々に付いて調べてみたり、考察してみたり・・・。と成るわけです。


 そこでバー(BAR)成立の歴史と云うものを簡単に纏めますと。(少々、私の主観が入っているかも知れません)
 
 17世紀前後より、西洋では”イン”と呼ばれるタイプの宿屋が増えてきます。(現在でも、~インという名のビジネスホテルが多々有りますが、そのインですね)
 そうしたインという言わば商人宿、馬車宿には当然の事ながら馬をつなぐための場所がありました。(我が国でも本陣とか、大きな商家には馬繋ぎがありましたが、そうした物でしょう)
 そうした馬をつなぐための横木(BAR)の側には、馬車の御者等が馬の様子を見ながら酒が飲める飲酒スペース成立したのです。それがバー(BAR)の語源・嚆矢と言われています。

 我が国で言うと、江戸期なら馬丁・馬子・駕篭かき・・・といった人々が一杯引っ掛ける立ち飲み屋、煮売り屋といった風情ですか?現在だと、色々の運転手さん御用達しの立ち飲み屋や”かくうち”ですかね?

 それが18世紀の後半に米国で、バーカウンターを挟んだ対面接客でカクテルを造り提供するという遣り方が成立し、それが19世紀頃に世界に拡がって行く。
 また、世界に拡がったバー(BAR)というものが各地に定着し、その土地の飲食文化等と習合しその国にあった形態・やり方に変化し現在にいたる。

 例えばスペイン等でBARと言うと”バル”と読み、カウンター主体の立ち飲み居酒屋といったスタイルが主流ですし、イタリアでは”バール”と読み、スタイルは様々ですがエスプレッソや酒、軽食を出す、いわば英国圏のパブ的な物が多い気もします・・。といった具合に・・・。

  バルにて   バールにて

 
 大雑把に書けばこういったところでしょうか。



 そして我が国のバー(BAR)ですが・・・。

 幕末から明治に架けて居留地等に住み着く西洋人が増え、当然そこには西洋風の酒場も出来る訳ですが、その後居留地の外の都市部や街場にも、それをまねて西洋風の酒場が造られる様に成る。

 そうして色々なスタイルの西洋風の酒場や飲食店が出来るようになるのですが、その中で昼間の営業に重きを置き、コーヒーを主体にした物が、後の喫茶店となり。
 大箱でテーブル席主体の酒場が、ビアホール(後に所謂カフェーとか、キャバレーにも発展)になり。
 小箱でカウンター主体、日本伝統の接客文化(=それはとりもなおさず、茶の湯の精神・哲学・作法等)を習合して成立したのが、日本のバーであった。というのが大筋だと想います。


 そうしますと日本のバーの原点は、カウンター接客(確かにそれは、茶の湯の主客の関係に良く似ています)で、茶道・茶の湯の精神を基とするもの・・・。と成る訳でして・・・。

 日本料理同様に茶の湯が全て(あるいはその基となる禅の精神が全て)と成る訳ですよね。


 確かにそれはそれで納得出来るのですが・・・(確かに日本の接客業の全ての原点は茶の湯といっても良いとも思えますが)、少し物足りないといいますか。

 それは、何かといいますと。

 やはり”バー”って。夜の世界に属する物。

 ある種、(真っ当な?)料理屋とは違った夜の空気とか、遊びという言葉に象徴される香りと言いますか、歓楽街(盛り場)という言葉や飲み屋街という言葉から連想される雰囲気といった物が、もう一つ重要な要素として必要なのではないか?と想った訳です。


 ではその”遊びの世界”、”夜の世界”の基本となる形式の原点は何処に有るのか?等と考えますと・・。
 戦国末期から江戸の初期に於いて成立した”遊郭”の文化に求めるかとは出来ないのか?等と思い至った訳でして・・・。(私が浮世絵に少しばかり惹かれていた所為かも知れません、歌麿なんて正に青楼画家ですしね・・・)
 
 そうした訳で遊郭等に付いて一寸調べたりしてみますと・・・、コレが面白いのです。


 そして現在に至り、という次第です。 
 長くなりましたので、続きは次回に・・・・。

 ますた
 

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ご無沙汰しております。お元気でしょうか?
酒場の話は興味が尽きませんね。

バーの原点、というものからは外れてそうですが、江戸の場合は「蕎麦屋」が重要な位置を占めていたんじゃないかと思います。

出稼ぎ人だらけの人口過密都市でしたから、当然「堅気の女」の人口が以上に少なく、男たちが仕事を終えて家に帰っても飯を炊いて待っている女房がいない、そうなれば外食です。もちろん毎日ではないでしょうが。日暮れ前に仕事を切り上げると一杯引っ掛けながら軽く腹ごしらえ、そんな時に便利だったのが蕎麦屋たったと…

井戸がそこらじゅうにあったので屋台と床机だけでも商売ができます。遊郭からの帰りに一杯、夜鷹の姐さんも一杯、そんな客も多いので終夜営業、蕎麦屋のとっつあんはちょっとした「夜の顔役」でしたでしょうね。

まあ、蕎麦に限らず江戸は世界一の外食産業都市だったでしょう。うどんも結構食べていたようです。すし屋、天ぷら屋、めし屋、どこも普通は酒がつき物です。
大店の旦那やお武家様はまた違う文化圏にいたのでしょうね。

18時すぎに あやみ さんから

2013/04/21(日) | URL | #-

2013/04/21 - ■■■

 あやみさま、何時もコメントありがとう御座います。

蕎麦に限らず、江戸時代の飲食文化という物、私も非常に興味を惹かれるところです。
 また、江戸に限らず、屋台文化の有る場所(例えば東南アジアであるとか、昔にのイタリアのパスタ屋であるとか)、にも興味を惹かれます。

 それこそ、屋台的な外食文化の発展している場所、時代って、人に優しく住み安そうにも思えますね。

 まあ、今回(から)は、遊郭というある種、文化リーダー的な場所の事を書きましたが、勿論、私も庶民。立ち飲みなんてのも大好きですし・・・。

 ただ、どちらにしろ、それこそ江戸という時代、非常に魅力的ですし、惹かれますね。

 もしかすると、それは拡大する事を強制されない世界全般にも言えるのかも知れませんが・・・。

 ますた

13時すぎに ますた さんから

2013/04/22(月) | URL | #-

2013/04/22 - ■■■

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