2013/05
24
[ #495 ]

ワインのはなし 8

 蒸留酒は8世紀頃にイスラムの世界で誕生し10世紀頃から一般化し始めた、といった事を以前書きましたが、これは当時に地中海東部の覇権がローマからイスラムに移行した事に起因しているとも言えそうです。



 ではその頃ヨーロッパ(ローマ)はどうなっていたか?といいますと、395年に東西に分裂、その後476年に西ローマ滅亡から混乱の時代を経て、800年にカール大帝の加帝(神聖ローマ帝国の誕生)といった時代背景といったところですかね?

 そしてこのカール大帝がワイン好きで、後のヨーロッパワインの発展に与えた影響は大きいのでは無いかと言われています。(著名なワイン、コルトン・シャルルマーニュの名前などもその関係ですよね)

 尤もカール大帝に限らず、分裂前のローマ帝国の時代からローマ市民は相当なワイン好きで有ったのは事実のようで、戦場にさえ各種のワインが入った壺(アンフォラ)を持ち込んでいた事は証明されていますし、一説には古代ローマ帝国の支配圏はブドウ栽培(ワイン造り)の出来る場所と基を一にしているとも言われていたり・・・。(現・英国は一寸例外か?)(どれだけ、ワイン好きなんだ?)

 もしかするとこの辺りの事がベースとなり、キリスト教でもワインが特別視されたのかも知れません。


 そして神聖ローマ帝国が誕生し北方へ勢力を拡大していくに連れ、葡萄の栽培範囲も北へ拡がるといった現象も起きる訳ですが。(ミサを行うのにワインが必要ですし・・・)

 そうした状況のなか、此処で重要な役割を担うのが”修道院”。例えばブルゴーニュのシトー派等。(そういえばノルマンディー辺りのべネディクト派等もお酒と深い関わりが有りそうです)

 何故(あるいは如何に)、修道院が重要な役割を果たしたのか?

 
 最も重要なの要素は、葡萄栽培を北に拡げて行く為の品種改良ですかね・・・。

 例えば現在、日本で有名なワイン産地と言いますと、北海道の池田町ですとか、山梨勝沼ですとか、長野、山形、等々、どちらかと言いますと清涼な風土の場所、少し寒冷な場所が多いですが、本来葡萄は温帯~亜熱帯系の果樹で寒冷地には適さない物だった筈です。

 この、葡萄の品種改良やワイン造りに置ける技術の向上に重要な役割を果たしたのが修道院。


 どういった事かといいますと、例えば葡萄の品種改良を行おうといった場合その栽培法や、土壌等々を何年にも渉り試行錯誤、観察、記録、分析といった作業が必要でしょうが、それを出来る人材や予算、道具を持っている場所が修道院であったという事ですよね。
 実際、文字の読み書きが出来る人々がいて(当時のヨーロッパの識字率がどれはどかは判りませんが、決して高くは無いでしょう)、かつ、キリスト教を布教させる(あるいはそのために葡萄造り、ワイン造りの普及が重要である)といった強力な動機もあった訳ですし・・・。

 そういえば我が国でも古い時代には、寺社が酒造りに重要な役割を果たしていましたが、洋の東西を問わず同じような事をしている様です・・・。

 
 こうしてみますと修道院や教会、あるいは寺社、現在の大学のような事を行っていた訳ですよね。
 と言いますか修道院、教会の方が歴史は古い訳で、大学という存在はそれらに対抗するためや、それらのシステムを参考に、或いは発展させてといった面も有るでしょう、後には反カトリック的になった物も有りそうで・・・。
 
 一寸話がずれてしまいました。


 何はとまれ神聖ローマ帝国(その範疇が、ヨーロッパともいえますし、EUともかぶります)や、その修道院がワインの普及、葡萄の品種改良に与えた影響は事の他大きそうです。

 現在良く言われるワインのテロワール(土壌等の影響)なんて言葉も、シトー派のワイン栽培に対する研究から端を発している様にも想えますし・・・。

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