2013/06
21
[ #505 ]

日本の酒のはなし 3

 ヨーロッパや中東で蒸留酒が造られる様になったり、神聖ローマ帝国が成立し、修道院等で葡萄栽培やワイン造りが始められた時期、我が国はどういった時代であったのか?といいますと、大和朝廷~平安時代あたり。

 

 ではその頃の日本でどんな酒が飲まれていたかといいますと、やはり米の酒でしょう。縄文時代はさておき弥生時代以降は基本的に米の酒が主流、やはり我が国は米が基本の国なのでしょうね。

 そうしてこの頃になると、麹を使った酒造りもある程度定着し生産量も増えていったのでは?等と思えます(確か播磨国風土記に麹を使った酒造りの記述が登場するのも8世紀の初め位だった筈です・・・)。


 閑話休題、この時期の日本の酒の話で私が一寸気になるのが、禁酒令の様な物が結構度々出されていたらしいという事。物の本に拠れば、大化の改新の頃から平安中期(900年)頃にかけて度々発布されているらしいのです。

 これをどう捉えるのか・・・?
 当時の律令制(崩壊気味な面もあるかも知れませんが)に於いて、為政者(朝廷)が農民を厳しく管理しようとしていた、と見るのか?はたまた、当時の農民という物が、しばしばの飲酒や宴会を行う事が出来うる位に、のんびりと自由にやっていたのか?
 どうも、私には後者に思えるのですよね。第一、朝廷の発布する禁酒令に素直に農民が従っていたのであれば、禁酒令が”しばしば”発布される事など無いでしょうから。

 それに、魏志東夷伝倭人の章に記された様に、我が国の民、飲酒宴会が根っから好きなのでしょうし。
 (実際当時の禁酒令にしても、どちらかというと農繁期の群飲の禁止といった内容の様ですし・・・。)


 では当時の農民、どんな時に飲んでいたのか?

 根源はやはり、神事礼祭でしょう。
 酒とかお神酒という言葉自体に、神にささげるといった意味も有るなんて話も有りますし。(八百万の)神々の存在を感じられる場合にそれに感謝すると同時にそれと同一化しようとする行為としての飲酒・・・。

 例えば春の花見=春祭りの酒は、山に帰っていた神が里に再び下りてきた事を感謝する物でしょうし・・・。(花々が咲く事をその査証と考え・・・。)
 また盂蘭盆会なんてのも、あの世の物がこちらに帰って来るという事で、其処に酒をささげたり、共に飲んだり・・・。

 また農耕儀礼。花田植えやその後の泥落としとか、秋の収穫祭・・・。


 そしてこの収穫祭や秋祭りといったもの非常に興味を惹かれるのです。

 例えば秋にドイツで行われるオクトーバーフェスト。これも収穫祭の流れを汲む物と言われ、その意味は”(収穫の)神に感謝をささげる事である”と良く説明される気がします。
 しかし私としては、もう少し深い意味もありそうな気がするのです。

 例えばオクトーバーフェストでは、”メルツェン=春に仕込んだビール”を飲み倒す・・・。
 それはそうしないと新たにビールを仕込む樽やスペースが空かないからだ、といった説もあります(そうなると、我が国の秋祭りも米倉を空ける意味も有るか?)。
 しかし私が想うに、(前年に)収穫した穀物等を溜め込み過ぎてはいけないという(無)意識が古来より強固に存在したのでは無いかと思えるのです。
 採集を中心とした生活を営んでいた頃から、基本的に食料等を溜め込みすぎる事を良しとしないという意識があったのでは?と思えるのです。


 それは何故か?

 ”やはり食物連鎖を滞らせる故でしょう?”

 人が死んで土に返り、植物として再生し、虫等がそれを食し、更にそれを小動物、大型獣~、人間の口に・・・。
 そして再び土に返る。この循環の環を滞らせる事は不自然とする無意識が有った様に思えますし、その食物連鎖の観念を教義化したのが輪廻の思想でしょうしね。
 で、余剰分は蕩尽する(すべき)。そんな意味で有った様に思えるのです。


 相変わらず話がずれてしまいましたが、そうした祭りにそうした意識があり、また酒がつき物であった様に思えます。
 それと、この祭りと酒の関係で面白い話を聞いた事がありまして。

 祭りの執り行われる期間というのは、暑い時期程短いという説です。

 何故か?
 それは祭りの初日に酒を仕込み、その酒が醸されるまでの間が祭りの期間で、最終日にその醸された酒を皆で飲む事で祭りを締めくくる。そこで、暖かい時期は酒が早く醸される故期間が短く、寒い時期は長い、と。
 証明出来る話かどうか難しいですが、面白いです。

 それはさておき、日本的アニマに従っている当時の農民等、海外からもたらされた仏教的思想に従い国を治めようとする朝廷との間に齟齬が生まれるのも仕方ない気もしますし、その辺りが再三発布される禁酒令にも現れていたのでは無いか?等と想ったり・・・。(またその延長線上に、明治政府の酒税と農民の抵抗なんて事にも繋がりそうな・・・)


 そしてもう一つこの時期の酒の話で気になるのが「延喜式」「令集解」という記録。

 この辺りの記録によりますと当時の正式な酒(貴族等の飲む酒)は、「造酒司」という役所で造られていた様で、また、結構な種類(タイプ)の酒も造られていた様子。大体13種類の酒が造られていたとの事。

 それに比べると、私の子供の頃なんて酒というと清酒のみ、あとせいぜい御屠蘇?
 甘酒はノンアルコールでしたし・・・。

 この点だけでも、我が国の飲酒文化?や酒文化、実は古い時代の方が豊かだった様にも思えるのですよね。

 ますた 
 

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