2013/07
24
[ #515 ]

戯言 7月

 相変わらず、遊郭絡みの戯言を少々・・・。

 前回は江戸時代の事を少し書いのですが、ではその後の事はといいますと・・・、


 1868年に元号が明治となり近代化・文明開化の時代と成りますが、この明治から大正に掛けそれこそ全国至る処に遊郭(地)が造られるのですよね。
 言い換えれば”明治とは最も遊郭が栄えた時代”と言っても良いかも知れません。明治5年に(マリア・ルーズ号事件の事も有り)芸娼妓解放令が造られたにも係らずです。
 (最も娼妓解放令は逆に娼妓の存在に政府がお墨付きを与えた事にも成ったのでしょう)
 (明治33年の自由廃業判決や娼妓取り締まり令も同様に)

 兎に角、明治時代はいたるところに遊郭が造られた時代。
 それもかなりの面、市町村・道府県主導で。

 何故か?

 恐らく最も多かった理由は、所謂”町興し”でしょう。
 この”まちおこし”という言葉、今でもやたらと耳にしますが・・・。
 新開地の振興や町の賑わいの創設、税収の増加等々を目指して多くの遊郭が造られる。
 また他にも、軍関係者の遊び場としてであるとか、文明開化の象徴である鉄道敷設の工事関係者の遊び場、工場労働者の遊び場といった理由も多かったでしょう。

 さらに明治後半から大正・昭和初期には日清・日露・一次大戦・満州事変と戦争の時代であると同時にある種バブルの時代。
 それはそうですよね、戦争は壮大な消費活動である訳ですから。武器・軍用品はフル生産、関連工場の在る周辺地域等は好景気に沸く訳で、”成金”という言葉のこの時代に生まれますし、大正ロマン、昭和モダンの風俗等に鑑みてもかなりバブリーな時代と言えると思います。

 ではそうした時代に遊郭や遊女(娼妓)はどういった状況か?と言えば、それはかなり哀しい状況に陥っていたと言えそうな気がします。


 そもそも明治の近代化・文明開化とは何だったか?といえば、それは日本の西洋資本主義化であったと言え変える事も出来そうで、この西洋型の資本主義、どういった事かといえば、全ての物事・文物が商品化される事と言い換える事が出来そうにも思えます(それは資本の理論の席捲とも言えそうです)。
 そうした中で、感情も生物としての肉体も持つ一人の女性(人間)が、遊郭で働くようになった時点で”娼妓”という一つの商品に物化されて行った時代といっても良い様に思えます(勿論、男性だって”労働力という名で物化される訳ですが)。
 更に、上記のように明治(中期以降)は都市部には工場地帯も出来急速に発展する。逆にそれは農業に依存する農村部等の相対的地盤沈下をもたらす・・・。農家の娘さんが借金の形に女衒に売られるといった事も頻発する。
 また、そうした状況の中でキリスト教系の女性人権運動の救世軍といった物も登場する。
 (このキリスト教系女性人権運動、同時期アメリカでも盛んで、後の禁酒法の成立にもある種利用された面も在る様に思うのですがその辺りの関係性も一寸気に成ります・・・)

 兎に角、色々な意味で、遊女哀歌・遊女哀史といった状況が生まれた様に思えます。
 またそういった状況は戦後も継続し、売春禁止法制定の要因にもなる訳ですよね。

 
 唯私としては、こうした明治期~の遊郭にはもう少し違った面もあったのでは?とも想っています。

 それは、”明治の近代化=社会の資本主義化”、これに馴染めない人々・違和感を抱く人々・江戸時代まで続く日本的心情や文化・慣習を持った人々(例えば自由民権等の運動家や作家・文化人等々)を惹き付けた面もあったのでは?という事。

 また戦後に於いてても・・・。
 大戦中唯一の価値観であった”国”あるいは”国家神道””国粋主義”といった物が敗戦に拠り否定され、その価値観の空白に挿入されたのが、民主主義(資本主義・個人主義)・進歩主義(社会主義・共産主義)で有ったのでしょうが、そのどちらにも馴染めない連中(それは両陣営から反動的なんてレッテルを貼られたり)を惹き付けたのが、色町であったり盛り場であったりする訳で・・・。


 これはどういう事か?

 思うに、明治維新以降に日本を席巻する西洋型資本主義が全ての文物を物化・商品化してしまうといった中で、遊女のその”女性性”という部分がより人々を惹き付けたのではないか?という事。
 それは、ある種貨幣に代表される”文明・”から最も遠い部分・・・・。女性(遊女)のプリミティブさ(源初性)、アニミズム性(霊性)、アルカイック(その微笑)が物質主義の中でより光を放ったのではなかったという事です。
 (また、それらは伝統的母性なり母系社会の無意識的象徴であったかもしれません)



 そういえばこの遊郭の話、確か”何故私が遊郭跡・色町跡等に惹かれるのか?”という理由で始めた筈。

 その理由の一つが恐らくこれです。遊郭にはある種日本古来の(明治維新に拠り消される)文化や空気の様な物が存在し維持されていた面が有るのでは無いか?という事(さらにその跡にはその残滓の様な物が)。

 
 また、明治以降の遊女(娼妓)は非常に哀しい状況に陥ったと書きましたが、では江戸時代の遊女が皆幸福であったか?というと恐らくそんな事は無い訳でして。
 江戸中期以降、妓楼の楼主は忘八と呼ばれたりする訳でして。”忘八”詰まり、金儲けのために人間が忘れてはならない八つの”徳”を忘れた人間(現代で言うところのブラック企業のオーナー? 笑 )。その頃からから遊郭は”金が仇(かたき)”の世界であった事も事実。
 当時の遊郭、この金(文明)が圧倒的な存在感を持つと同時に、そのある種逆の位相の女性(情・自然)という存在も濃く在り、更に客の感情も色濃く存在した空間である訳で、多くの人々の思念の様な物が渦巻いていた空間ともいえる訳ですよね。

 その残留思念の様なもの・空気が感じる事が出来れば(そこで何かを思えれば)、という気持ちが在る事も理由の一つ。


 更に、遊郭跡という場所。そうした残留思念等々ある種独特な雰囲気を宿す場所故、昭和の高度成長期にも割りあい再開発から逃れている面も多いのです。詰まり、戦前の街割りや建物、雰囲気が残っている場所が多いのです。(それも20世紀一杯であったという気もかなりしますが・・・)(家主の高齢化・建物の寿命・小泉改革・世相の変化等々が理由ですかね?)

 実際にはこれが一番の理由かも知れません。


 はっきり言えば単なる私のノスタルジーな訳ですが(笑)。

 でもやはり、遊郭跡とか古い町並みに惹かれるのです。
 遊郭や色町跡、それは絶滅種・絶滅危惧種・滅んでしまった物・滅びつつある物・・・・。
 一寸好きでね。
 何故ならそれら(滅んでしまった物、滅びつつある物)は、優しいですから・・・・。

 ますた 
 

スポンサーサイト

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

COMMENT:

SECRET: (管理者だけに表示を許可する場合)
 
トラックバックURL :