2013/09
06
[ #528 ]

戯言 9月

 先月は日本に数多くある怪談の中で、”累ヶ淵”怪談に興味を惹かれると書きましたが今回は其の続きです。

 累ヶ淵怪談に関しては以前、本の紹介という事でこの本の事をアップした記憶が有ります。昔この本を読んだ事が、累ヶ淵に興味を惹かれる様に成った切っ掛けかも知れません。


 閑話休題、累ヶ淵怪談。
 寛文12年(1672年)に下総国岡田村羽生村(現在で言えば水海道から鬼怒川を挟んで対岸、常総市羽生村)で起きた”事件”を、後に”残寿”という人が関係者に取材して書物にまとめ、元禄3年(1690年)に出版した(された)「死霊解脱物語聞書」が基に成っており、この辺りの事が非常に興味を惹かれる点で有る。
 と書きましたが、ではこの”寛文12年の羽生村の事件”とはどんな事件であったのか?

 簡単に記しますと・・・。


 寛文12年(1672年)の旧暦1月、羽生村の百姓”与右衛門”の娘”菊”に、与右衛門の最初の嫁”累”の死霊(悪霊)が憑依する。そこで村人等が集まり祈祷氏や近所の坊主等に除霊を頼み、試みるも上手く行かず。それを当時、弘経寺の修行僧であった祐天和尚が見事に除霊。
 更に4月、”菊”に”累”の異父兄である”助”の霊が憑依するも、これも祐天和尚が無事除霊、”助”の霊は無事昇天した。

 簡単に書けばこんな話になりますかね。

 それを後に残寿という人間が、事件の関係者に聞き歩き一つの書物にまとめ、それが開版(初出版)されたのが事件の18年後の元禄3年(1690年)という事に成るのです。

 そしてその書物の中で”助”に憑依された”菊”の様子が、「床より上へ一尺余りうきあがり~、中にて五たいもむこと人道の中にしてかかる苦患の有べしとは・・・・」(床から30センチ余りも空中に浮遊し身体を捻る様はこの世の物とは思えない苦痛を表す)、といった風に記されている訳ですが、この辺りリンダ=ブレア主演のホラー映画の傑作「エクソシスト」を連想させる訳です。
 (そういえば、エクソシストも実話を基にしているとかいないとか・・・)


 それはさておき、この残寿の行った、関係者にインタビューして書物にまとめるという手法、現代で言えばルポルタージュ、あるいはドキュメンタリーやノンフィクションの手法ですよね・・・。

 しかし、そうなりますと(死霊解脱物語聞書がノンフィクションであるとすると、認めると)。死霊(幽霊・悪霊)の存在、あるいは憑依現象といった事を肯定しなければ成らなく成る訳でして・・・。
 それは結局、幽霊は存在すると発言する事と同意な事として、科学万能の近現代では・・・、例えば、「UFOの存在」を力説する事と同様、オカルトマニア扱いされる可能性の高い行為な訳でして・・・。
 それ故この「死霊物語聞書」は、学問(歴史学・国文学等)の世界ではある種”奇書”扱いされていた面もありそうです。

 では、この書物が作者(残寿)創作の完全な作り話だと仮定たとしても、それはそれで無理がありそうにも思えます・・・。
 開版当時(1670~80年代)の江戸では羽生村の事件は既にかなり著名な事件であった様子、また事件から18年後と言いますと事件の関係者はかなり存命中な筈(現に菊もその婿の金五郎も存命中)で、そこで嘘八百を書いた書物を出版する事は現実的で無い様に思えます。


 では、実際にはどうなのか?

 私が想うに、事実を基とした”実録小説”的に見るのが妥当な様に思えます。作者の残寿の主観や、如何にも坊主臭い、説教臭い言い回しも多いですしね。
 更に言えば、平家物語が浄土真宗的”諸行無常”という価値観を世間に流布する為に藤原行長(西仏という僧と同一人物の説有り)に拠って編まれた事と様に、死霊解脱物語聞書も残寿(恐らく祐天に近い僧)に拠って”因果応報”という価値観を世間に流布する事を目的に編まれたといった事にも思えます。
 (更に穿ちをすれば、羽生村事件に拠り、世間的に余りに著名になり過ぎた祐天という個性的僧が浄土教団主流派から追放された事に対し、祐天派の人々が起死回生の策として編んだという見方も当りの様な・・・)

 しかしそういう見方をしたとしても、死霊(幽霊・悪霊)が現実に存在するか否か(或は憑依現象を認めるか)?という問題の答えには成らない訳でして・・・・。
 
 
 では、学者さん等はどういった見解を出されているのか・・・?といいますと。
 基本的には、”累”の霊魂の姿、”助”の霊魂の姿をはっきりと見ている(見えている)のは”菊”唯一人であるという見解ですね(*祐天にすら見えていない)。

 どういうことか?

 詰まりこの現象は、”菊”の精神錯乱で有り、村人はその精神錯乱の激しさに巻き込まれ集団催眠に罹った(また結果的にそれを側面から強化したのが祐天というトリックスターである)。
 これは、明治に活躍した学者(哲学・心理学等)、井上円了の論理を踏襲した物でしょう。
 まあ、現代科学の視点ではこういった見解しか無い気はします。
 (一寸、無理無理な気もしますが)
 詰まり神経作用であると。
 (この学問的見解を踏まえ、三遊亭圓朝は累ヶ淵を創作落語として発表する折、頭に”真景”(神経)と付けたそうで・・・)


 私自身としては、幽霊等に関して(私個人は見た事が無い、見えない人ですが)”在ってもおかしくは無いよね~。”といった”ゆる~い”スタンスです(学者・科学者でもないですし)。
 といいますか、理解できない事は否定しない(積極的に肯定もしない)事を良しとしたいです。

 憑依・口寄せ・口走りといった事・現象にしても同様。

 (そういえば最近東北辺りでは、震災の死者の霊を降ろして遺族と対話させ遺族の心を癒すという活動も行われているとか。また、それを記録されている人々もあるとか・・・。”いたこ”の現存する東北、ある種、口寄せという”文化”が根付いている土地なのでしょうね。)


 色々書きましたが、結局羽生村事件とは何であったか(幽霊が現れたのか?、集団催眠か?)(悪霊・霊魂は存在するのか)、という事に結論は出しにくいわけでして。
 そこで私などは全く違った視点を持って見たくなるのですね・・・。
 長くなりましたので、其の辺りはまた来月にでも・・・。

 (しつこい性格の私です・・・・)  

 

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おもしろい!
でも調べるのめんどくさい人なので助かりますw
読んで為になります

15時すぎに はおっち さんから

2013/09/10(火) | URL | #-

2013/09/10 - ■■■

 お褒め頂き有難う御座います。面倒くさい記事を書き倒す勇気が湧きます。(笑)

11時すぎに ますた さんから

2013/09/11(水) | URL | #-

2013/09/11 - ■■■

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