2013/09
23
[ #537 ]

ビールのはなし 4

 広島オクートーバーフェストに顔を出しましたし、本場ミュンヘンにおいてもオクトーバーフェストが始まったということで、ビールの話を少々。


 以前、カール大帝がワイン好きで、ワイン普及のために修道院等でのブドウ栽培ワイン造り等を推奨し、それがブルゴーニュ等のワインの成立に大きな功績を残した・・・。等と書いた記憶があるのですが、それと同時にカール大帝、大のビール好きで、ドイツ辺りの修道院ビールの成立に大きな影響を与えた、なんて話も同時に有ったりするのです・・・。

 フランスの修道院ではワイン造りを推奨し、ドイツの修道院ではビール造りを推奨したのか?まあ、酒好きで有ったというのは間違い無いのかも知れませんが・・・。


 その事に関しては、ローマ時代に成立し国教化されたキリスト教に於いてワイン=キリストの血として特別視している訳ですから、ワインの普及を促進したという方がより真実に近そうな気もするのですが。
 尤もビールの視点からすれば、カール大帝はゲルマン人であり、それまで下等な(民族=ゲルマン人等の)飲み物として蔑まれていたビールに市民権を与えたという論説にもなり、これも納得できそうな気もします。

 そう考えますと、ワイン好きなフランスとビール好きなドイツの争い、それは又神聖ローマ帝国の正統争いとも重なり、普仏戦争~一次大戦~二次大戦等の遠因にもなっている様に思えましたり・・・。


 では実際に9世紀頃の神聖ローマ帝国(カール)、あるいはカトリック教会はワインとビール、どちらの普及に努めたのか?というとやはりワインでは無かったのか?という気がします。

 では何故ドイツ、特にバイエルン辺りの修道院でビールが作られる様になったのか?

 いくつか理由はあると思われます、例えば気候の問題でブドウ栽培が難しかった・・・とか。
 しかし、後にはラインガウ辺りがワインの一大生産地になったり、バイエルンでもフランケン地方辺りではワインが定着したりしてますので、それだけが理由とも思えない気がします。

 フランケン  フランケンのワイン 


 推察ですが、最大の理由はバイエルン辺りの人々の生活、慣習にしっかりビールが根付いてしまっていたという事と思えます。
 つまりは各種の儀式や行事等にビールが付き物で有ったと。
 紀元前のローマでもゲルマンの民はやたらとビールを飲むと認識されていたようですし。

 そうした人々に対し”儀式の時にビールでは無くワインを”等と言っても中々難しい気がします。

 例えば我が国に置き換え、結婚式の三々九度をワインでしなさいと強制されても反発を招くでしょうし、お神酒をワインにしろと言われましてもねェ。
 そういえば昔、大分で知人の結婚披露宴に列席した際、テーブルの上に焼酎の瓶と湯割り用のポット(魔法瓶)が沢山並んでいた事に驚かされた記憶があります。
 やはりお酒って、人々の生活や行事に深く根付き、また地域性を表しけむ物なのでしょう。
 (尤も戦後、あるいは現代の日本人はそうでも無いかな?結婚式等では矢鱈とシャンパーニュで乾杯ですし)

 
 恐らくはそんな理由でカトリック教会、無理にワイン造りを強制して住民の反発を招くよりは、バイエルン辺りではビール醸造を肯定する動きになったのでは?と想像するのですが・・・・。

 特にバイエルン州のバンベルク周辺、ある種ビール飲みの聖地と思える程にビールが根付いている地域です、そしてそれと同時に中世のドイツにおけるカトリックの中心地といった面も強い様に思えます。
 (確か、イタリア以外で法王の墓所があるのはここだけで有ったと記憶するのですが)
 その、ローマカトリック教会と非常に近しいバンベルク周辺で、教会の推進したいワインでは無くビールを修道院で造る事が行われたという事も興味深いですね。
 それは、教会建築が多く立ち並ぶベナチアにおいて反カトリックとも言えるルネッサンスが勃興した事と同様の理由に寄る事かとも思えたり。

 ともかくバイエルン地方、ビールの聖地、ビールらしいビールが作られる場所。私もバイエルン地方のビールが個人的にお気に入りですね。


 ということで、バカナリヤにもいくつかバイエルンのビールが置いてあります。

 バイエルンのビール


 

スポンサーサイト

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

COMMENT:

SECRET: (管理者だけに表示を許可する場合)
 
トラックバックURL :