2009/06
20
[ #55 ]

 雑考 13   瞽女(ごぜ)

 瞽女を端的に言えば、盲目の女性遊行芸人となるのでしょうね。

 そうして瞽女という言葉には、どうしても、悲しみ、悲壮、苦しみ、被差別・・・、といったイメージが付いて回る気がします。
 斉藤真一氏の画などを観ても(他、水上勉の小説等)そのイメージを強く感じます。
 勿論、それを否定する気は全く無いのですが、他方、彼女たち、その職業に誇りと、喜びを感じていた面も有るのでは無いか?等とも思ってしまいます。




 盲目である事は当然それだけで大変な苦悩でしょうが、そのことによって研ぎ澄まされた他の感覚、特に聴覚により、芸能を極め(瞽女って・ゴゼとは読み辛いですよね、もしかしたら”御前”辺りが語源かもしれない等と思ってしまいます。高級遊女を太夫と言う如く・・・芸能民の系譜を考えてみたくなります)、その技術により他者を喜ばせる事により口を汚させていただく。
 これって、生きる事の原点の様な気がします。自分の能力、技術を喜んでくれる他者、必要としてくれる他者の存在を感じれる事、すなわち、己の存在を承認される事はやはり喜びではないでしょうか。


 もちろん、差別される事の苦しみも多いでしょうが・・・。とくに彼女たち、盲目である事、女性である事、遊行民であること、芸能民である事等で、2重3重の差別を受けていた面が有るのでしょうが、それと同時に、それに拠り彼女たちの職業が守られていた面もあるのではと私などは考えてしまいます。少なくとも江戸中期までは・・・。

 江戸時代、江戸の町に貨幣経済が定着するまでは・・・。(昔、日本史で庶民文化が花開いたのは元禄で、それを元禄文化、そして爛熟した化政文化と習った気がしますが、私は吉宗の享保の改革終了後に花開いたのでは・・・等と思っているのですが・・)

 貨幣経済、或いは都市文化が花開き、芸能に対する差別意識が減り、一般庶民が三味線を習ったりし始め、そこから芸者などが誕生し、健常者の芸人が増えることにより、瞽女も段々と都市部から駆逐される。
 元々日本の差別の多くは、律令制(農本主義)の導入とともに定着したのでしょうが、都市部から駆逐された瞽女たちは農本主義(それは有る面自然と調和して生きる)的空気の残る地域で生き残ったのも、皮肉と言うか当然というか・・・。


 それも明治維新以降の西洋文明的戸籍制度の導入(これによりサンカ等の新たな被差別民も生まれた気もします)、戦後のプロテスタンティズム(アメリカ文明)の普及で消え去っていったのでしょう。


 差別制度を安直に肯定する気はサラサラ無いですが。それによりバランスの取れていた面も、否定出来ないのでは?等と想います。少なくとも、保護の名の下に、居留地に押し込まれ、生きる誇りを奪われつつある多くの先住民よりは、江戸時代の庶民、或いは被差別民の方が幸福なのでは?等と想ったりします。

 水商売と言うある面底辺の人間の戯言と思って聞き流して頂ければ幸いです。

  ますた
 

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