2014/02
21
[ #581 ]

ブランデーのはなし

 ブランデーといいますと、コニャック等、高級な酒といったイメージが付いて回りますが、今回はそういった(グレープ)ブランデーの話ではなく、もっと広義の果物から作られた蒸留酒といった意味でのブランデーの話。


 因みに所謂ブランデーという物、16~17世紀頃にオランダ商人が主導して作り拡まった物なのですが、それ以前の事・・・。

 アレキサンドリア辺りで蒸留酒製造の技術が確立され各地に拡まって行った事は以前書きましたが、所謂ヨーロッパ(西ヨーロッパ)でワインから蒸留酒が作られ一般化していくのは、14世紀~15世紀と言われています(文献的には1411年のフランスの物とか?)。
 その理由としては100年戦争による衛生面の悪化で有るとかペストの流行といった物があり、その特効薬として一般化していった何て話が有ります。
 それ故か否か”命の水”といった意味の名前が付けられている事が多いですよね。
 例えばフランスでは、「Eau de vei(オー・ド・ヴィー)」・・・。
 こんなやつですね、

    eau de vie

 
 唯、個人的にはもう少し前からこの手の蒸留酒、普及し始めてのでは?等と思っています。
 例えば、以前少し書いた事のある”グラッパ”の様な物とか・・・。


 では何故そう想うのか・・・、かなりいい加減な私の妄想・推察ですが・・・。
 
 恐らくこの辺りの事を考える場合、スコラ学といった物に少しばかり思いを馳せるのが良いのでは等と思うのです・・・。(スコラ学、簡単に言えば、古代ギリシャの(アリストテレス辺りの)科学・哲学的な物、考え、学問といった様な物でしょうが。)
 
 簡単に言えば、キリスト教の誕生~公認~ローマ国教化~ローマの東西分裂といった課程の中で特に西ローマ(カトリック圏)から、それまでローマを繁栄に導いて来たギリシャ文明・哲学といった物が駆逐されて行く、その後西ローマは滅亡、9世紀に神聖ローマ帝国が成立。この神聖ローマ帝国が徐々に再び古代ギリシャの科学・哲学=スコラ学を取り込んで行くといった事を始めるのです・・・。
 そして、そのスコラ学から正戦(聖戦)論の様な物が生まれ、それが十字軍に繋がり、中東付近から先進の科学等がもたらされスコラ学が強化され、そこからルネッサンスといった方向に行くわけですが、こうした動きの中で蒸留酒も拡まって行ったのでしょう。

 特にこの十字軍の動きに依り、蒸留技術や蒸留器がもたらされた面が大きいのでは?等と思えるのですよね。
 (西のイベリア半島辺りから来たルートも大きいでしょうが・・・)

 特に第4回の十字軍(1202~1204)何て、イェルサレムの開放・奪還(東ローマへの援軍)等と言いながら、やった事とと言えば、東ローマの首都コンスタンチィノープルを散々に略奪して帰っただけですからね・・・。
 その第4回十字軍の中心となったのがヴェネチアの商人な訳で(その辺りの物、以前観に行ったヴェネチア展にも展示して有ったり、解説されていた記憶があります)、その後のヴェネチアには蒸留酒が出回った事は十分考えられると思うのです。

 特に当時のヴェネチア、ヨーロッパ隨一の発展した都市でも有り、非常に豊かな商人も多く、権力も持っていた訳で・・・。

 そして金なり権力なりを手にし、遣りたい事が出来る様に成った人間(権力者)が次に求めるのは不老不死(死や病の不安からの脱却)であったであろう事は古代から洋の東西を問わない訳でして・・・。

 そうした事を考えると13世紀頃からヴェネチア周辺のイタリアで蒸留酒(アクア デッラ ヴィータ)が普及し始めていたと考えるのが自然に思えるのです・・・。

 そうなるとバッサーノ・デル・グラッパ村の位置(ヴェネチアから水運を利用すれば非常に利便性が良い)も納得出来ると言いますか、面白いと言いますか・・・・。

 そして錬金術師という存在・・・。
 
 長くなりましたので、その辺りは改めて妄想を膨らませてみたいです。
 
 

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