2014/07
11
[ #627 ]

転換点?

 昔のF1は草レース的な面やサーカス的雰囲気も有り、そうした時代のF1に魅力を感じる・・・・。何て事をよく書いているのですが、では何時頃までそうした雰囲気が有ったのか?

 思うにどうも82~83シーズン頃が転換点ではないのか?と思えるのですよね。


 では1982シーズンとはどんなシーズンだったのか?
 一番印象に残るのは人気者G=ヴィルヌーブの事故死。これが切っ掛けで恐らくはウイング(ベンチュリー)カー最後の年となった筈です。他ピローニが再起不能にになったり、パレッティが事故死したり・・・・。
 シーズンオフには70年代を代表するチーム監督(兼デザイナー)C=チャップマンが亡くなったり・・・。
 
 しかし、個人的にはフォードDFVエンジンが最後にチャンピオンを取った年ということが象徴的な気がします。
 因みに、翌83年が最後の勝利の年だった筈。
 
 (そういえば83年は秋には、東広島出身のレーサー”高橋徹”が富士のGCで事故死、TV中継を観ていました。そして翌年からウイングカー禁止となり・・・)


 

 閑話休題、このフォードDFV、市販されていたF1用エンジンなのですよね。F1用のエンジンが市販されているって今では考え辛いですが。
 故にこのエンジンを買って(当時日本円換算で1000万はしなかったとか)来て、車体を造り、ホイルやブレーキ等は専門メーカーから購入あるいはオーダーをし、あるいは中古で購入し・・・。スタッフとドライバーが揃えば何はとまれF1にエントリー出来る訳で・・・。
 まあ、勿論予算は膨大に掛かるでしょうが・・・。
 それ故、76・77年の富士のF1に日本のチームがスポット参戦出来たり。

 何がかこういうのって、市販車を買ってきて改造・チューニングしてエントリー出来る草レースと大して変わらない様な気も・・・。

 
 それが83年シーズン以降は、大メーカーの造った電子(コンピューター)制御されたターボエンジンで無いと勝負にならなくなる・・・。ターボが禁止された後も結局は細かく電子制御されたエンジン・サス・ミッションetc にデータロガーによる管理。もうプライベーター的なチームの出る幕は無いですよね・・・・。

 そして個性派のパイロットも活躍した80年代が終わり、彼ら(マンセル・ピケ・プロスト・セナ・・・)等が消えてしまった94年以降は、完全に現代的プロスポーツになってしまった気がして・・・・。
 (私としては魅力半減なのです。)

 元々モータースポーツ(もしかすると個人競技のスポーツ全般)って、プロとアマチュアの境があいまいと言いますか。
 例えば80年代、日本がバイクブーム真っ盛りだった頃、2輪の全日本を走っている選手、特に小排気量クラスにおいて、いったいどれくらいの選手がそれだけで生活出来ていたか?というと実は殆どいなかったでしょう。多くの選手が別に仕事やアルバイトを持ち、それで得た資金を突っ込んで走っていた筈で・・・。
 そうしたアマチュアリズムの情熱の様な物に惹かれるのですよね・・・。

 (拠って、プロ野球やJリーグ等のプロの団体競技は少し苦手なのかも知れません・・・)

 
 蛇足ついでに・・・、
 F1で市販エンジンを搭載したマシンで戦うバックヤードビルダーが主流になったのは、恐らくDFVの時代の前、F1が1,5Lの時代からでしょうが、その頃強かったチームに”クーパー”というチームが有った筈です。
 あのミニ・クーパーのクーパーさんですよね。
 チューニング屋さんといいますか、レース屋さんといいますか、ローバーミニをチューンしてモンテカルロラリーで活躍したり・・・・。
 (フェラーリ御大は彼らを”自動車修理工場の連中=エンジン自体を作れない”連中と蔑んで呼んだとか・・・)



 で、私の店のバックバーにこんなウイスキーが並んでいたり・・・・。

 クーパーズ・チョイス

 クーパーズ・チョイスという(インディペンデント)ボトラーズのシングルモルトです。
 クーパーズ・チョイス、和訳すれば”樽職人の選択”ですか。
 レース(チューニング)屋のクーパーさん、元々樽職人(樽屋)あがりだったのですね・・・・。

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