2014/10
05
[ #652 ]

海田辺り

 先日良い天気でしたのでガレージからバイクを引っ張り出し近所を散歩、向かったのは海田市辺り・・・。

 海田市はその地名からも判る様に、江戸期には市の立つ西国街道の宿場町、本陣も置かれていたということで古い街並みや建物でも在ればということです。
 また瀬野川という水運にも良さそうな川も在り、西は船越という地名、古くは貝田という字があてられていたという話もあって水の存在を感じる面も・・・、更に明治以降は山陽線と呉線の結節点として交通の要衝といった面も・・・。
 まあ、遊郭は存在しなかった様ですが(笑)、芸妓置屋は在った様です。

       地図


 という事でその辺りを歩いてみる事に・・・。



 旧西国街道沿いに江戸期の建物が、多くは無いですが残っています。

   海田3 海田4

 ただ本陣は説明板が有るばかり。

 説明版

 西国街道やその周辺をしばらく散歩。戦前の物と思われる建物も幾つか残り、小さいながらウダツの揚った建物が何軒かあります。

 駅の北側、西国街道との間が往時の繁華街でしょう・・・。

 海田2 床屋 海田

 現在は寂れ気味ですが幾つか雰囲気の有る建物も・・・・・。


 また散歩の途中こんな物も発見、

 レーサー

 確かここは地元では有名なマフラー(エキパイ)屋さんだった場所ですね。


  
 また、海田というともう一つ気になる物がありまして。
 それはこれ・・・、

    九十九橋
      九十九橋。

 一風変わった構造をしております。


 九十九橋3   (このアングルが判り易いかな、バイクが邪魔?)


 確か終戦直後の枕崎台風で先代の橋が流出、架け替えられた物です。

 九十九橋2

 昭和25年の竣工ですが、往時は敗戦に拠り資材不足という事で、山口県光市に在った海軍工廟の建物の廃材を再利用して架けられたとの事。
 確かに橋の部材としては一寸安っぽい”Lチャンネル鋼”で組まれています。
 更に各所に米軍の空襲で受けたと思われる弾痕が・・・。

 弾痕   (という事は、ブローニング12.7ミリ機銃弾の物ですかね?)


 そしてもう一つ、九十九橋には人柱が入っているという噂を聞いた事が何度か有るのですが・・・・?




 更についでと言っては何ですが、矢野の街にも少しだけ立ち寄りまして。

 この矢野の街、明治から昭和の前半にかけて”かもじ”の町として全国に名を知られていたそうで(全国で生産されるかもじの90%近くもここで造られていたとか)、何かそれらに関するもの(例えば資料館)でも有れば・・・、と立ち寄って見たのです。

 因みにJR矢野駅はかもじ(鬘)の形をイメージしてデザインされているとか・・・。

 矢野駅

 しかし、らしい物は見つからず・・・、強いて言えば”かもじの碑”が残っているくらい?

 かもじの碑


 洗い場?

 これは、かもじの洗い場跡かも知れませんが・・・。

 
 あと、海田や矢野も含めこの周辺、往時の軍の存在をけっこう感じるのですよね、招魂碑とかが多く・・・。
 考えて見ますと我々戦後世代は、広島=被爆地=平和都市と教育されましたが、戦前の広島は明らかに”軍都”。
 広島城址には一時期大本営も置かれていた訳ですし、呉には海軍も・・・。福山だって・・・。
 そして軍需工場も・・・。
 海田の自衛隊駐屯地も基は陸軍の補給品廠でしょうしね・・・。


 どちらにしろ、近所でも興味深い場所や事柄はまだまだありそうです。

 
 

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