2014/10
13
[ #654 ]

わくぐみ 3

 しつこく前回の続きです・・・。
 近代化により従来の大きな”わくぐみ”が解体され、社会が最小のわくぐみ=個人の集合体化していった面がある。と同時に近代になって新たに生まれたわくぐみ=企業とか各種団体等の組織がその個人を取り込み、組織の=個人の意味といった方向になって行った・・・。

 しかしそれはそれとして、1個人に立ち返った時=プライベートな時間等にはやはり個人としてのわくぐみ=意味は考えざるを得ないという宿題は残ったままでは無いのか?なんて話だった筈・・・。

 で今回は個人と言うわくぐみ、言い換えれば個人の意味?”自我”なんて呼んでも良いのかも知れませんがその辺りをいいたい放題に・・・・。


 自我。つまりは自分とは何者なのか?存在の意味は?何て事なのですが、先ず人が最初そういった事に目覚めるのは3歳位ではないのか?と言われています。
 3歳位になり言葉が少しづつ喋れるようになると自己と他者の認識も出来るようになり、母親等の言うことを聞かなくなったりダダをこねたりするようになる。(これを第一反抗期とも呼ぶとか?)
 確かに3歳児~小学校に入ったばかりの子って、玩具屋等でダダこねている印象が強い(強かった?)のですよね。


 その後小学校に入り、周りに自分と同じような年頃の連中の中で過ごすようになり、ある種の社会性の様な物も生まれたり、また色々の言葉(=見方、考え方)等も覚え、10歳頃からか、学校や家、親とか友人とか自分、生と死・・・・色々考えたり悩んだり解った様な気になったりする様になる。(思い起こせば確かに自分もそうだった様な・・・)(この辺りを2次反抗期というとか言わないとか・・・・?)

 で、そうして考えたり思い悩んだり・・・、何てことを教師とか親とかに相談すると・・・・・。

 まあ、現代では返っててくる言葉のパターンとしては、「そんな事ぐずぐず考えても仕方ないでしょ、それよりは今は学校の勉強をしっかりやって(偏差値の)良い大学に入る事が一番、そうすれば将来の選択しも増えるし、先ずはそれが大事です」。
  とまあこんな答えですかね・・・?

 そこで、そう言われた子供達はどうするのか?
 
 1、そうした教えに従い面倒な事を考えるのは止め、何はとまれ学校や塾で教えられる事や教科書に書いてある事を覚える(適応する)。そして大学に入り、更に安定した大企業や役所等に就職。企業や役所の色に適応し一人の社会人(=大人)の誕生となる。

 2、良い大学に進む事だけが正しいとは思えない、或いは学校教育に適応出来ない・したくない、でも個人で考え続けるのも面倒くさい・・・・。
 で、友人グループやライン繋がり、何かのチーム等・・・・に帰属し、そうしたわくぐみ(グループ)に適応する。

 3、進学だけが意味とは思えない、でも2の様に徒党を組むのも好きじゃない、出来ない。でも一人で考え続けるのも面倒臭い。そこで、(他者が造った)何らかの方向性や意味に依存する。(例えばブランドとか新興宗教、主義・思想とか・・・)
  

 
 で、どうなるか?というと・・・。



 1の場合、確かにある面立派な社会人=大人なのでしょうが・・・・、下手をすると前回書いたように一人称が会社なり部署なりになってしまう。 うちの社では、部署では、組織では・・・・、何て事ばかりになってしまう。
 それって、その組織に属して無い人間(他者)からみると、結構”変?”。
 場合に拠っては女性から、「貴方って自分が無いのね」何て言われたり・・・(笑)。
 更に言えば現代の企業(組織)では、企業の利益(=金儲け、組織防衛)こそが全てなわけで、金儲けが全てって、言ってみれば(昔の言い方では)、”ひとでなし”的に成ってしまいますよね・・・。

 2の場合も同様に、グループの外の人間から見ると”かなり変”て事になりかねない。所謂”ヤンキー”と見られたり・・・。
 下手すると灰ヶ峰の事件の様になったり・・・・。更に将来的には反社会(暴力団)的?に成ったり・・・・。
 これまたはこれで”ひとでなし”と言われそうです・・・・(笑)。

 3の場合、主義(例えば民主主義とか国粋主義とかマルクス主義・・・・)や思想(例えば嫌煙思想とかジェンダー思想・・・・)、特定のキーワード(例えばマナーとか平等、国家、人権とか)の価値観ばかり押し付ける人に成ったり・・・。
 あるいは新興宗教等を人に押し付けたり・・・・・。所謂面倒くさい人といいますか、何といいますかこれも下手すると”ひとでなし”と呼ばれそうで・・・・。

 詰まり、面倒くさいからって自分で考えることを止めて現代に適応すると、下手すると、ある種ひとでなし的になってしまう可能性が高い・・・・、と。


 では、面倒くさくてもひたすら自分で考え続けると・・・・・。(パターン4? 笑 )
 「我想う故に我在り」に成ってしまったり。
 デカルトのコギトですね。まあこれを近代自我の嚆矢と呼んだりもするのでしょうが・・・・。
 でも、これって我(自分)しか無い訳で、他者も無ければ社会や歴史に対する想像力も無い訳で・・・・。

 で、下手をすると・・・・、ひたすら「僕は僕は僕は・・・、私が私が私が・・・・」に成ってしまったりね。(そういえば昔、ビートルズの曲に「Ⅰ me mine」何て在りましたが、流石ビートルズというかレノンというか・・・笑 )
 
 で、他者から「餓鬼かよ!」と言われたりね。
 それでもしつこく「でも、だって、僕が・・・・」何て言い続けると・・・、「わりゃ、なめとんか!」何て言われて・・・・。


 
 ではどうしろと・・・・?

 個人を殺して組織や世間のわくぐみ(やり方)に適応しすぎると”ひとでなし”と成り、それは可笑しいと想って自分で考え続ける(個人のわくぐみを重視する)と”ガキ”になってしまう訳で・・・。
 ほんと現代って困った物というか何というか・・・・。

 ん~~、やはり落語の世界(に学ぶのが)が楽しい気がします・・・・。
  
 続く・・・・(のか?)。

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