2014/11
20
[ #666 ]

日本の酒のはなし 4

 久々に日本の酒に付いての妄想を・・・。

 西洋でシェリーの生産量が増える時期、我が国の酒はどうだったのか?という事なのですが。
  



 12世紀末に鎌倉幕府=武家政権が誕生し政(まつり)事=行政が幕府に移るのですが、そこで酒に関して行われた事で重要と思えるのが、13世紀半ばの沽酒禁令。
 これは各家において蓄えても良い酒の量を、甕一つに制限するという法です・・・。
 そしてまずここから推察出来るのは、往時そこそこの家ではかなりの酒を造り貯蔵していたであろうという事。それはまた日常(ケ)における飲酒がある程度行われる様になっていたのであろうという事。

 そうした状況で幕府は沽酒禁令を発布する訳ですが、それでどうなったのかといえば・・・・?
 専門の酒屋(造り酒屋)が誕生するという事になる訳です。そしてそこから、今風に言えば酒税を徴収する訳です。
 明治維新後にも似たような事が有ったと記憶していますので、新政権ってやはり予算的に苦しいのでしょうかね・・・。

 そしてそこで酒造に乗り出すのが京都の金融業者等の豊かな商人・・・(この辺りも明治維新後と似ている様な・・・・)。


 こうした状況でどういった事が起こるかといいますと、一つは、専門業者故により良い製品を造ろうと工夫や技術革新の様な物が起こる。

 代表的な物の一つが”諸白”造りという物。
 古代の酒は玄米で造っていたのですが、蒸米等が徐々に白米で造られる様になっていく、それでもこの時期(16世紀)まで麹米は玄米であったとか・・・。
 それを全ての原料を精白した白米で造る様にしたのが、諸白。

 そしてもう一つが火入れの開始。
 自家醸造が制限され造り酒屋的な物で造られる酒が多くなり、流通とか貯蔵に対する必要性から生み出された面が強いのかとも想えます・・・・。

 火入れ、詰まりは低温殺菌法。麹菌他各種の菌を殺す為に60℃前後に温度を上げる行為。
 西洋の現代科学がこれ(パスツール法)を発明、実用化するのが19世紀半ば過ぎですから約300年前から我が国では始まったいたわけで、流石、技術立国の我が国というところですかね (笑) 。


 では何処で酒の火入れが始まったのか?ですが・・・・。

 これは著名な話が有りまして・・・「多聞院日記」という興福寺の学僧が記述した文献に登場するのが記録としての嚆矢とか・・・。(1568年)


 詰まりはこの時期(でも)、寺社においても酒造りが行われていたと言う事でしょうし、また当時の寺社にはそうした有る面研究機関的側面も有ったという事なのでしょう。

 西洋でもブルゴーニュのシトー派修道院において、ワイン用葡萄の品種改良やワイン醸造法の研究も行われていたわけで、洋の東西似たような事をしている訳ですよね。
 といいますか、酒造り等の行為を系統的に長年に渡り観察し記録し研究するといった人材を確保出来る組織として、寺とか教会以外には難しかったのでしょう・・・・。

 
 更に言えば寺社という物、古くはそうした多くの側面を持っていたという事でしょう。
 現代ではお葬式の時にお世話になると印象ばかり強い訳ですが・・・・。


 初期の法隆寺なんて立法機関的側面も有りそうですし、国分寺なんて国の出先機関=合同庁舎や裁判所的な側面が強いと想われます。他、荘園領主的側面だってありそうですし、金融業や貿易業を行う面や、江戸時代では役所の住民課的側面も強いですしね。上記の様に教育機関や研究機関の面も強そうです(弘法大師に土木技術者や鉱山技術者空気を感じるのは私だけでしょうか?)。また信長と戦った本願寺や延暦寺は僧兵もいますし、一つの政治勢力ですよね・・・。
 他にも、集会所的であったり、舞台や劇場、ある種のアジールとして機能したり・・・・。

 そういえば現代の”大学”という組織もそうした面が有りそうで・・・・・。


 何だか相変わらず話が横道に逸れてしまいました・・・・。

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