2014/12
03
[ #669 ]

京都で紅葉

 前回の続きです。

 先の連休にバイトをしてくれていた仔の披露宴列席の為京都に出向いた事は書きましたが、折角紅葉シーズンの京都、それだけで帰るのはもったいない、という事で披露宴の翌日、少しだけ街歩きをして帰る事に・・・・・。



 早めに宿を出ようと想ってはいたのですが、そこはお約束の宿酔い(前日は昼から、0次会~披露宴~バーを3軒はしご、と飲み続けでした)、少し遅めのスタートです。


 先ず向かったのは・・・・、



           大門


 相変わらずです・・・・。

 旧撞木町遊郭大門口。ここはこうして昔の大門の柱が残してあるのですね。
 平成のこの時代、こうして大門が残っている場所は珍しいのでは?昭和の時代であれば、ある程度は残っていたようですが(例えば呉の音戸遊郭跡とか、高知市の某所とか・・・・)。



          大門口


 往時の雰囲気が偲ばれる気がします。


 この撞木町の廓は歴史が古く、我が国の遊郭の嚆矢の一つにも挙げられると想われ、近くにはこんな碑も有り・・・。


     廓之碑

 其処にはこの廓の来歴が記して有ります。

     碑 文言


 太閤秀吉の伏見城築城に際し成立した事、赤穂義士”大石良雄(くらのすけ)”が遊行した事、等々。

 こうした碑も存在する故に大門も残っているのかも知れません。
 また、近くには琵琶湖疎水(&墨染発電所)等が有ります。
 
      疎水



 そこから折角なのでこちらに参拝。


       稲荷


 伏見稲荷ですね。当然、千本鳥居の下も歩かせていただきます。

      鳥居



 何と言いますか・・・・・。遠近感が狂って目眩がしそうです。たとえて言えば草間彌生の水玉模様の作品を見ているような・・・・。


 また、こうした鳥居の朱色、広島県にも関連が有りまして・・・。これに使われる顔料、硫化水銀系(現代では銀朱か?)、たしか竹原市の三井金属で生産されていた筈です。


 そしてこの伏見稲荷、確か、711年に秦氏による創建であった筈。

 秦氏といえば、始皇帝の秦の流れですよね・・・。
 この秦氏、西方の民族(中東やシルクロード)が起源という説も有り、強いていえば砂漠の民・商業の民の印象が強いのです。故に商売の神様か?
 更に言えば始皇帝の命に拠り仙薬を探しに来たと言われる”徐福”。その探していた仙薬は仙丹、つまりは(硫化)水銀であった、なんて話もあり・・・・・。更に水銀は金の精錬に・・・・・・。

 妄想が拡がった伏見稲荷でした。



 更に折角なのでこちらにも・・・・・。

 東福寺


 東福寺、個性的望楼と想えます。

 ここは紅葉の名所として著名なお寺。


 紅葉

 こんな感じです・・・・。



 そうして当然の事ながら、大層な人出・・・。

 殆どラッシュアワー。

 まあ、当然と言えば当然ですが・・・・・。(私もその一人ですしね・・・)


 で、早々に退散・・・・・。

 しかし、JR東福寺駅や京都駅新幹線乗り場も大層な混雑、みやげ物売り場なんて殺気さえ漂っていそうで・・・・。

 まあ、紅葉ピーク、連休晴天の京都ですからね・・・・。仕方ないですか。


 ますた

 

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