2015/01
01
[ #677 ]

1月1日

 新年 明けまして 御目出とう 御座居ます 本年も 何卒 宜しく お願い 致します 。
 
                平成27年 1月1日

 という事で、本日は平成27年(2015年) 1月1日 なのですが、しかし何故1月1日は、1月1日なのでしょね・・・?
 


 等と書きますと、またバカナリヤのマスターが変な事を言い始めた・・・・と言われそうですが・・・・。

 例えば今日、月齢では11日。更にいえば旧暦だと(平成26年?)11(霜)月11日。
 もし月齢に対応して日(陽)齢?という見方をすれば・・・。太陽の力が最も弱くなる冬至を1日にすべきでしょうから・・・、1月13日かな・・・・?
 どちらにしても中途半端な気がしませんか?

 何、面倒くさい事言ってんの?明治6年に新暦に切り替えてからそうなっているのだから、それでいいじゃん!といった声が聞こえそうですね・・・。

 確かに明治5年の(旧)12月2日の翌日を(新暦)明治6年1月1日にして以降そうなっている訳で・・・。
 ”政府予算が厳しかった故、役人の俸給を1月分節約するためであった”何て説が実しやかに語られたりもしますが・・・少々???ですね。

 暦が切り替わるという事、あるいは暦という物はそんな物では無いと思うのですよね・・・。
 
 
 では暦とはなんなのか?思いつくままに記しますと・・・・。

 まず、月はその名のとおり月齢が基となっている訳で・・・。太陰暦。
 恐らく人類が採集を主体とした生活を営んでいた時はこれを中心にしていたでしょう。潮の満ち干、生き物の産卵や行動等もこれに支配される面が強いですから、狩猟の民もそうかも知れません。

 対して太陽暦は農耕と密接な関係がある暦ですよね・・・・。

 こういいますと、新月にブルゴーニュ等で摘み取りをしたり、クレモナで木の伐採をしたりしているのは農業では無いのか?等と言われそうでが、果物の摘み取り等は採集的な行為ですものね・・・。

 閑話休題、太陽暦・・・。古代エジプト等での農耕の始まり辺りから主流になった気がするのです・・・・。

 古代エジプト、ナイル川上流の雨季による大量の降雨等に拠り、決まった時期に水位が上昇、氾濫にいたる訳で、またこれがエジプトの農業を支えていた。そしてこれは毎年決まった時期に起こり、月齢ではなく、太陽暦で図らなければ成らなかった。故に太陽暦(或いは天文観測技術)が発達した訳でしょう。

 そしてその太陽の位置から年中行事を、詰まりは何時種付けをし何時取り入れるか?といった事。また何時祭りを執り行うか?等といった事を決めていたのは恐らく神官であったでしょう。

 言い換えれば、何をすべきか?≒何が正しいか≒物事の善悪・・・・等(の根っこの部分)を決めていたのは神官で有ろうと想えます。
 それに従い王家が実質的政治を行う。

 現代的に言えば、神官は立法&司法の役を、王家は行政を行っていたともいえそうです。

 またヨーロッパ中世では。新約聖書という(絶対的)憲法が有りますので、立法はある面不要。その聖書に基づき物事の善悪を決めるのが教会≒司法。実質の政治≒行政を行うのが、領主(貴族・騎士)。ともいえそうで・・・・。


 では我が国では・・・・・。

 ここで思い出すのが卑弥呼の話・・・・。
 恐らく彼女は鬼道に基づいたシャーマン的≒神官的存在で、その弟がそれに基づき行政の長に立っていたと観るべきでしょう。鬼道が何であったは解りませんが、何時・何を行うかといった事の根源的な事を決めていたのは卑弥呼でしょうし、それは暦の制定と同意義と言えそうです。
 そして想像ですが、卑弥呼は247年の皆既日食を切っ掛けにその座を追われる・・・・。


 また大和朝廷成立後は基本的に天皇家、あるいは朝廷がそれを行っていた訳で・・・・。

 後に摂関政治の時代となり、行政権が藤原家に移行してもその権威は帝に付随していたでしょうし、武家政権となり行政権が源氏(武士)に移っても、暦に対する詔は朝廷に帰属していた筈で・・・。

 詰まりは暦の制定権は神官としての権威なのですよね。その国の最高権威といっても良いかも知れません。
 宗教=物事の善悪を決める根源的権威といっても良いかも知れません。

 それが明治6年から”グレゴリオ暦”に成る訳で・・・・・。


 そういえばそれ以前、我が国にグレゴリオ暦を導入しようとしたのではないかと想われる著名人が・・・・。

 信長です。

 確か信長が本能寺で打たれた天正10年(旧6月だったか)は、西洋暦では1582年。
 そしてユリウス暦1582年10月4日の翌日をグレゴリオ暦10月15日とした筈・・・・

 私は信長が打たれた遠因はこの辺りに有りそうに想うのですが・・・・。

 閑話休題。明治6年にグレゴリオ暦を我が国の暦として採用したという事は・・・・。我が国の最高権威はキリスト教になったは言えないのか?という事
  
 暦というもの、東アジア圏では我が国を除き多くの国が未だに旧正月を祝います。詰まり太陰太陽暦。
 イスラムはイスラム暦を持っていますし、ユダヤ教はユダヤ暦、東方教会系はその暦を・・・・。

 そして江戸以前は我が国も朝廷が詔で認めた太陰太陽暦。つきは月ですし、24節季は太陽暦であり農事暦であり、祭り等は陰暦。
 例えば盂蘭盆会は常に満月の下ですし、海洋系の祭りは当然大潮の時期であったり・・・。


 また良く、”明治維新が我が国第一の敗戦であり、先の大戦の敗戦が第二の敗戦、バブル崩壊に拠る経済的敗戦が第三敗戦”と表現される事、或いは方があります。
 
 となりますと・・・・。

 1945年8月15日は我が国敗戦の日ですが、それが第2の敗戦記念の日であり・・・・。
 実はグレゴリオ暦、1873年1月1日が第1の敗戦記念日となるのですかね?
 
 世界史や暦の視点で見るとそうなるのかも知れません。


 何だか正月から目出度く無い話を書いた気がします。ご容赦を・・・・。

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