2015/04
17
[ #709 ]

まけざま

 先月に”ディエゴ=コラレス”というボクサーが負け様が良く印象に残る選手(尤もラストファイトとなった試合はダメダメでしたが)、云々・・・等と書いた記憶が有りますが、スポーツを観る場合、この”負け様”が一つの楽しみといいますか・・・・。
 言い換えれば、負け様に対する視点という事が重要な気がするのですよね。
 更に言えば、スポーツに限らず社会生活全般において、負け様に対する理解は重要だった気がします。


 どういう事かと言いますと・・・・。

 以前、現代社会(新自由主義)は生きる事を”椅子取りゲーム”の様にしてしまったのでは?といったコラムを読んだ記憶がありまして、その視点は概ね肯定出来うるものでした。

 確かにそうなのかも知れません。高校入試や大学入試、或いは就職試験等々(最近では幼稚園から入試が有るところも有るとか・・・・?)、また、仕事上の出世競争等々・・・・・・。”椅子取りゲーム”に例える事が可能な様に思える事も多くなっている気もします。
 またたまに通勤通学時間に電車等に乗りますと、学生・生徒等が結構我先に空いてるシート(椅子)を確保したり・・・・(もしかすると彼らは受験を控え、それが椅子取りゲーム的であることを無意識にじかくしているのか?とも想ったり・・・・・)。
 まあ、シルバーシートの様な物が作られる時点で如何な物か?とも思います(1970年代辺りが初出かな?)、子供の頃には人よりも椅子の数が少ない時には、年配の方や妊婦さん傷病者の方に椅子を譲るのが世間の作法だと教わった気もしますしね・・・・・。

 
 閑話休題、生きる事が椅子取りゲームと似た物と成っているという視点がそれ程間違っていないとすれば(実は昔からそうした面は有った気もしますが・・・・)・・・・、例えば、百人で最期は1人が勝ち残る様な物を想像すれば・・・・・、無敗で勝ち残るのは1人だけですよね?残り99人は一度は敗れる訳なのですよね?
 
 それこそ、「どうぞ」何て人に席(椅子)を譲っていると気が付いた時は”負け組み”に成っていたなんて事に・・・・(しかしこの最近良く耳にする”勝ち組・負け組み”といった言葉、余り良い言葉とは思えないのですが・・・・)。

 そう、殆ど全員が一度以上負ける訳ですよね?

 そして恐らくだからこそ、負けていく人間には”負け方”(を考える)という事が重要な気がします。
 或いは勝ち残った人間には、負けていった人間の”負け様”に対する理解が・・・・・。

 何故なら・・・・・、もしも敗者の負け様に対する視点・理解が無くなってしまったとすると・・・。

 誰も喜んで、負けて行って呉れなく成りますよね?或いは勝ちを譲って呉れなくなるのでは?

 結果として、毎回の椅子取りゲームが殺し合いの様になる可能性が高くなりそうですよね・・・・・?

 
 おそらく太古から生きる事それ自体、生存競争的ではあった筈ですが、それを残酷にしない為に”敗者の名誉”なんて物が生み出された、とも言えるかも知れません・・・・・。またそれを観る文化も・・・・・。

 まあ、負け続けの人間の戯言ですが・・・・。


 
 追記

 実は上で「負け様」と「負け方」という二つの書き方をしたのですが・・・・・。当然この二つは異なる訳でして。
 更に言えば、「勝ち方」という言葉は在っても「勝ち様」という言葉は無いのですよね(違和感あるでしょ?)。

 いってみれば、勝ち方・負け方は主観(一人称)であり、自分で(勝つ人間・負ける人間)が意識できる事ですよね?
 或いは勝ち方は技術論で負け方は様式とか・・・・。
 それに対し、「負け様」は客観なのですよね。「あの人の負け様は美しかったよね・・・・」等々・・・・。
 更に言えば負ければ次は無い訳で、だからこそ「負け様」に意味が有るとも言えるのですよね・・・・。


 そういえば最近矢鱈とTVや新聞や本でも「生き様」なんて言葉が使われますが、本来日本語に「生き様」何て言葉は無い訳でね。
 あるのは「生き方」と「死に様」・・・・(だった筈)。

 「私(僕ちゃん)の生き様を見て下さい・・・・・」何てフレーズが多様されていますが、一寸見っとも無いなと思う今日この頃・・・・、なんてね・・・・。 (笑) 

 ホント相変わらずの戯言ですな・・・・。

 

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