2015/06
13
[ #725 ]

観光

 
 このところTVのニュース等でも、”日本を訪れた外国人観光客の数が前年比OO%アップとか、経済効果がいくら~~といった報道も多い気がします。また、私自身暇を見つけては単車でウロウロ、ここのところ観光ライダーと化していますし(とはいっても訪れるのは遊郭跡とか色町・花街跡ばかりですが)。
 そういえば前回、観光に付いて少し考えたくなる~~、等と書いた記憶も・・・・。
 ということで、少し考えてみようと思うのです。

 

 
 最近、日本を訪れる観光客が増えているという報道は良く耳にするのですが、私が訪れる場所(遊郭跡等)は逆に寂れて観光客も減っている印象が強いのですよね。

 ではそもそも”観光”とはどういった物なのか?

 観光という言葉、それ自体は恐らく明治以降に造られた新語でしょう。江戸期以前は”旅”とか”~~参り”とか”物見遊山”と表現されていた筈ですから。

 ではこの”観光”という物、あるいは観念を生み出したのは?といいますと、(結構著名な話ですが)19世紀半ばにトマス=クックがクック旅行会社を創設したのが嚆矢でしょう。
 そしてこのクック氏、進歩主義者といいますか禁酒活動家の面も強かった様で、旅行会社を設立した理由も旅行を飲酒に代わる楽しみとして定着させる為であったと言われています。

 つまり、それまで(19世紀半ばまで)の人々の余暇の楽しみといいますと、”飲む・打つ・買う”特に”飲む”、詰まり飲酒がその主流だった訳です。
 それをクック氏は(観光)旅行という物で代替しようとしたともいえる訳です。詰まり、旅行という体験、学習をとうして個人が進歩する。その進歩や成長することを楽しんでもらおうと考えたのでしょう。(体験学習とか教育資格産業的な面もあったという事でしょう・・・)

 で、その通りに事が運んだのかというと、どうもそうは行かなかった気がします。
 単なる娯楽化してしまったといいますか・・・・・。


 少し話は変わりますが、この19世紀半ばにもう一つ似たような物?も誕生するのですよね・・・・。


 それは何かといいますと、「万国博覧会」。


 今でもそうですが、この万博に良く在る物が、居ながらにして世界の風景が楽しめるといった趣旨のパビリオン。360度のスクリーンとか3D映像とか、最近では世界遺産のそれとか、ドローンで撮影された映像とか・・・・・。
 在りますよね・・・?

 こうした事に拠り、世界の風景が単なる”見世物”とされてしまった面が強いと思われます。

 また、実はそれは風景だけでは無さそうです。

 19世紀後半から20世紀前半にかけて万博等で流行った物に、実は人間(未開人・原住民・有色人種)の展示が有りました。

 最近、動物園や水族館とうで”行動展示”なんて物が流行りですが、それを人間でやっていて人気を博していた訳です。
 そして動物園の動物から、より自然に近いものとしてサファリランド、更に実際に現地に旅行しての観光・・・・といった様になると同様に、人々(現住民?)の生活や文化形態を観光に行く物として観光旅行やパックツアーが成立して行く面が強くなる訳です。

 となると・・・・、観光する側は良いですが対象となる(観光される)側って、結構惨めでは無いのか?という事も当然考えられる訳でして(たしか民俗学者の宮本常一氏もどこかの著作で地方の文化・民俗等の観光化にはそういった難しさが有る事を指摘されていた記憶も・・・・)。
 また戦後良く言われていたのは、交通の発達に拠り観光旅行が世界的に流行したが、西洋人が行きたがるのは旧植民地が多いという言説も・・・・・。
 詰まり観光(旅行)とは在る面、上流階級(金持ち)が原住民の生活を見世物的に観る行為、とも言えそうで(かなり嫌味ですが・・・・・)。

 そう考えると、観光の推進という物、実はかなり考えなければいけない物という気もしますよね。


 少し話が戻りますが、先に19世紀半ば以降、風景や人々に暮らしといった物が”見世物”として観光の対象と化したと書きましたが、見世物故に、より解り易くて面白い物が求められる様に成るのはある面当然の成り行きでしょう。
 それに拠り観光や観光地等が、イベント・エンタテイメント・ショービジネス化していく。あるいは、それらが観光の目的となる訳で。

 確かに、東O・Dランドや大OUSJ等は今でも多くの人出で行列も出来るとか・・・・。


 観光それ自体がショービジネス化したのが現代といいますか。
 
 しかしこのショービジネス、言ってみれば典型的アメリカ(現代)型のサービス業とも言えそうです・・・・。

 
 アメリカ型のサービス業 ?????? 

 アメリカ型のサービス業では、お客様の我が儘の出来るだけ答えるのが良いサービスとされる訳ですが、いってみれば”お客様は神様です”といった方向性(そういえばこの”お客様は神様です”のフレーズが流行ったのも大阪万博の時でしたよね)。

 こう書きますと、それの何処がいけないの?当然でしょ?なんて意見が飛んで来そうですが・・・・。

 このアメリカ型のサービスという物が進んでいくと、お客様の要求(我が儘)が無限に肥大化する方向に行きやすい訳です。
 その結果として、現場が疲弊する(アメリカ型の典型、ファストフード系のチェーン店、そうなって来ている様に思えますが・・・・)。
 また、価値観が一元化しやすいので多様化が失われ易い、その結果、資本力が大きい所しか生き残らない・・・・等々となり易い等々。 

 結局地方の小さな観光地とかレジャーランドは疲弊する、と・・・・・。

 (もっとも遊郭地という観光地・レジャーランドは昭和33年の法律が基で消えていくので一寸異なりますが・・・・笑 ) 


 観光という言葉が矢鱈とTV等で騒がれ、そうした番組もグルメ番組同様に目に付きますが、たまには観光という事に付いても少し考えても良い気がするのです。



 





 追記

 アメリカ型のサービス業=現代型サービス業といった言い方をしましたが、では?それ以前のサービス業は?といいますと・・・・。

 例えばそれ以前のヨーロッパや、昔の日本の接客業等・・・・。



 全てとは言いませんが、どこか一見様お断り的な面は有るのですよね。

 それは、お客様もサービス(接客)する側もお互い様といいますか、先ずはお互い1人の人間でしょ?といった面がある気がします。
 (接客は鏡という言い方もありますか・・・・)



 良く、「(京都等の)一見様お断り?何を生意気な、客を舐めてるのか?」といった言説が有りますが、実は逆の気がするのですよね・・・・・。

 例えば東海道中膝栗毛で、ヤジ・キタの泊まる宿場街の宿屋等は、一見さん相手なので何はとまれ呼び込みで客を捕まえてウェルカム・・・・。しかしそれはある面、お客様を財布としか見てい無い訳で・・・・・。
 そしてヤジ・キタ両名もそれならばと、旅の恥はかき捨てとばかりに無茶をする、得をしようとばかりする。
 アメリカ型も基本的にはそうで、お客様を財布(物)としてみる面は強い気がします(まあ、現代社会というもの押しなべてそうともいえそうですが)。


 そして古い接客は人を人としてもてなしたいから一見様ウェルカムでは無い・・・・・、訳でしょう。

 サービス≠もてなし   かも知れませんね。

 
 相変わらず話が変な方向に・・・・。
 言いたい放題で申し訳ないです。

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