2015/06
19
[ #726 ]

リキュールのはなし 5

 リキュールという種類の酒が一般に普及した要因の一つとしてボルス社の誕生の影響が大きいのでは?等と書いた記憶が有るのですが、他の要因に付いても少しばかり妄想を拡げてみたくなるのです。

 例えば、カトリーヌ ド メディチ(メディシス) 辺りから・・・・・。

 


 カトリーヌ ド メディチ 、名前の通りイタリアのメディチ家の血を引く女性ですが、彼女が1533年にフランスのアンリ2世に嫁ぐ訳です。
 そしてその時に多くの従者を伴って輿入れする訳ですが、その中に、料理人や菓子職人、医師や占星術師等々も含まれる訳でして・・・。
 そして、その料理人達がイタリア料理をフランスに伝え、今に繋がるフランス料理の基礎を造った。また、菓子職人(パティシエ)達が同様にフランス菓子の基礎を造った、といえる訳ですが。

 結局当時はヨーロッパ文化の中心はイタリアだった訳ですね(丁度ルネッサンス期の終わり頃ですか?)。と言いますか古代から当時まで地中海沿岸がヨーロッパ文化の中心であった訳で・・・・、当時ももしかすると、オスマン帝国の方が文化的だったかもしれませんし、あるいはビザンツ帝国(コンスタンチィノープル)とか・・・・。


 閑話休題、彼女の従者の中には医師や占星術師も当然含まれていた訳で、彼らはいってみれば当時、錬金術師や科学者とも言える存在。そして彼らがリキュールの製法をフランスに伝えた面も大きいと思えるのです。

 そういえば彼女の結婚相手”アンリ2世”の死を予言したノストラダムスなんて正にそうした存在ですよね。


 そしてその100年余り後の17世紀半ば、フランスはアンリ4世を戴いたブルボン王朝に代わる訳ですが(因みにアンリ2世との直接の血縁は無かった筈です)、この頃から(西)ヨーロッパの中心がフランスに変わるのですよね。
 それは、恐らくカトリックとプロテスタントの両方をうまく融和させた(取り込んだ)故。そして重商主義。

 兎に角、その頃から革命までフランス王室(ブルボン朝)がヨーロッパの中心として、またそれ故にヨーロッパ社交文化の中心として君臨する訳ですが(ベル薔薇の世界ですな・・・・・)、そうした社交パーティー等で注目を集め定着していった物の一つが、リキュールな訳です。
 ドレスの色にリキュールの色を合わせるなんて事が流行る訳ですね(だからこそボルス社も成立出来たのかも知れませんし)。

 また余談ながら、このフランス宮廷文化の繁栄があったからこそ現在もフランスのブランドメーカーがその存在感を保っているとも言えるのでしょう。

 

 いってみればこの時期(あるいは以降)、ベルサイユ等で開かれる社交界に参加する王族や貴族達は、色々の色のリキュールを捜し求めた訳でしょうから、そうした物が修道院辺りから流出したり、錬金術師に造らせたりなんて事も在ったと思われます。
 (そういえば、カトリーヌ ド メディチ がフランスに輿入れ後に流行った物にもう一つ、神秘主義なんて物の・・・・、この辺りも錬金術(占星術)師の影響かも知れませんね・・・・。)

 

 例えばこのリキュール。

 shartreuse.jpg


 レシピが1605年にアンリ4世(ブルボン朝)の宮廷関係者から伝わったと云われています。





 追記

 更に云えば、異端審問を切っ掛けにプロテスタント運動が起こり、彼らから教会に対する寄付が激減した為、教会や修道院は院内で造っていた酒類(ワイン・ビール・リキュール等)を地方領主や庄屋等に売って収入を得始めた・・・・、何て事も関係しそうです・・・(押し売り的だったなんて話も・・・・・)。免罪符の発売もこの時期ですし・・・・。 
 

 相変わらずまとまりに欠ける文章でした・・・。
 

スポンサーサイト

Copyright © ますた [バーテンダーと呼ばれる程のバカは無し] All rights reserved.

≪  今年も梅酒を・・・   |   観光  ≫
COMMENT:

SECRET: (管理者だけに表示を許可する場合)
 
トラックバックURL :