2015/08
29
[ #746 ]

日本の酒のはなし 6

 我が国の飲食文化の基と成る物、室町から江戸中期にかけて殆ど登場していた様に思えるのです。

 例えば現代に続く日本料理の基礎となる懐石料理の登場もその時期でしょうし、普茶料理・精進料理といった物もそうでしょう。
 まあ、我が国の飲食文化・接客文化の基礎となる茶懐石・茶の湯・侘び茶・茶道といった物の登場がこの時期ですので。
 

 また、握り寿司・天麩羅・蕎麦切りといった所謂”和食”の代表的な物も江戸中期には登場していますので、ほんとこの時期までには略完成の域に達していた様にも思えるのです。器等も含め・・・。

 では、酒はとなりますと・・・・。侘び茶(茶道)を完成させたと言われる利休。”酒道”というものも提唱していたとか・・・・。まあ、これは江戸時代に消えてしまったといわれていますが・・・・。

 技術的な面でも、室町時代には”火入れ(低音殺菌法)”が出てきますし、諸白造りも始まった筈。さらに”みりん(酎)”も登場しますし・・・・。これなどは和風デザートワインといった感じでしょうか・・・・。
 さらに江戸時代に入ると関西圏に置いて、生もと造り・寒造り・木灰精澄法・木綿濾布・・・・等も登場し所謂”清酒(当時は上酒と呼んでいた気も・・・・)も登場する訳で・・・・・。
 さらに言えば柱焼酎を添加し、飲み口を良くした辛口の酒なんて物も造られたり・・・・・。

 他にも、備後の保命酒の様な物(これなんか薬草系リキュールといっても良い気が・・・・)も有りますし、また落語の青菜等でも名前の出る柳陰(ヤナギカゲ)なんて、焼酎に味醂を加えた物でしょうから(他の説もありますが)ある種カクテル的なのかも知れませんし。
 (そういえばこの柳陰、竹原あたりではにごらず”ヤナギカケ”と呼んでいたとか、そして塩田労働者等が夏場に井戸で冷やした物を仕事上がりに引っ掛けていたとかいないとか・・・・・)

 また、往時の黄表紙等に(管巻太平記だったか・・・・)、新酒と古酒が喧嘩になり其れを焼酎が仲裁する・・・・なんて話も有りましたので、新酒・古酒・焼酎、それぞれにファンが存在したとも思えそうです。

 なんといいますか、想った以上に昔の我が国の酒文化は発達していて豊かだった気がするのですよね。

 勿論、洋酒は殆ど輸入されていなかった訳ですが、その分国産の物や飲み方等が豊かだった気もするのです。

 吟醸酒以外の物は殆ど登場していたのかな。
 タイムマシーンでも有れば一度江戸時代にタイムスリップしてみたいですね。




 追記

 室町時代辺りでは主たる酒の生産地は、やはり都に近い場所、伏見とか一寸下って奈良、あるいは北の若狭周辺が主流だったのでしょう(確か伊達政宗も若狭から杜氏を招聘し地元民にその技を盗ませ東北での酒造りを定着させたとか・・・・・)。
 その後、水運の便の良い灘が主流となり江戸期の酒造の中心は灘周辺の印象がが有ります。

 尤も、灘周辺の酒は江戸等に送られたりで一大産業地といった印象ですが、地方において消費される物はその地方で造られる事も多かったでしょう。
 また、所謂”どぶろく”なんて村々で造っていたでしょうし・・・・。


 では、私が店をさせていただいています広島県(安芸の国)といいますと・・・・・、文献で残っている物だと天正年間(信長の時代ですか?)に三津で酒造が行われていたと記されているのが最古とか・・・・。
 安芸津町三津地区、三浦仙三郎氏の印象が強いので明治期以降の印象が強かったのですが(最近はいま一つ元気がない気もしますが明治から昭和にかけて三津杜氏といえば一大勢力だった訳です、そういえば昔、県立竹原高校安芸津分校には醸造科が有った記憶も・・・・、高校で醸造科というのも今考えると凄い気がします)、けっこう伝統的な酒造地だったのかも知れません、江戸期には藩米の集積地でもあった筈ですし・・・・・。
 また、江戸期には竹原や三原も酒造が盛んだった筈ですし、他の県の事は余り判りませんが、広島の海岸線も結構酒造が盛んだった気がするのです。


 

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