2015/11
19
[ #774 ]

勝手な考察

 先日ヌマジ交通ミュージアムの特別展にて、その昔広島ではモーターサイクルレースが盛んであった事を知り、少々驚いた云々、という事を書きました。また、では何故そうであったのか?という回答はその展示にては得られず、考察をしてみたくなったとも。
 そこで少々勝手な考察をしてみたのです。

 とはいいましても、単なる一単車好きのおっさんの言いたい放題なのですが・・・・。


 



 その展示で知ったのは、大正から昭和9年の時代並びに昭和21年から34年に掛けて広島市周辺で盛んにモーターサイクルのレースが開催されていたという事。

 前回も書きましたが、私の様な世代からしますと広島という地域は”三無い運動”が激しく、また限定解除の試験も全国の都道府県のトップクラスで難しい(苦労しました)という印象しかなかったのです。
 それが戦前戦後の時期、2輪のレースが盛んだったとは・・・・。


 では何故そうであったのか・・・・?


 広島市およびその周辺という地域が現在の様な繁栄を迎える基礎と成ったのは、天正年間の毛利元就の広島城築城がその嚆矢であることは論を待たないとおもいます。
 この天正19(1591)年の毛利氏の入城以降、現在の広島市は安芸の国の国府として行政都市として存在して来た訳ですが、しかし江戸時代の広島の街の印象は非常に薄いのですよね。広島県で生まれ育った私ですらそうなのですから余程そうなのでしょう。
 その理由は幾つか考えられると思うのですが、例えば・・・・。


 1、瀬戸内のやや奥まった場所に位置し、また大田川河口の扇状地にある故広島湾が遠浅の傾向もあり、北前船等の大型の廻船が寄り辛かった。
 2、福島正則改易の後入府した紀州浅野藩は、浪士が吉良邸討ち入りを行った赤穂浅野藩の本家という事もあり、江戸時代は幕府に睨まれない事を是としていた傾向が強く、印象に残り辛い。
 3、第二次長州征伐以降、広島藩は薩長方として戊辰戦争を戦い、それ故維新後も新政府との親和性が強く、江戸時代が良かったとは言えない空気が強い。

 等々が考えられそうです。


 その比較的地味な印象の広島の街が急速な発展を始めるのは、明治の陸軍の駐屯地、特に明治21年陸軍第五師団の本拠となってからでしょう。

 特に明治27年からの日清戦争中には広島城本丸に大本営が置かれ、明治天皇もいらっしゃった訳ですから。

 基本的にわが国は天皇がいらっしゃる場所=都(首都)とも言っても良い訳でして、わずか一年足らずとはいえ広島市が日本の首都で事にもなる訳で発展しない方がおかしい訳です。

 その後も、日清~日露~一次大戦といった具合に原爆投下まで軍都広島として活況を呈す訳です。


 そしてこの軍都として発展した事が戦前モーターサイクルレースが盛んであった事の大きな理由と私には想われる訳です。


 先の大戦中の日本陸軍、特に戦争末期はその非現実的とも思える作戦や、神風等に象徴される行為に拠り、精神主義的で非合理的組織で有ったとの印象が非常に強く印象付けれている訳ですが、本来、近代の軍隊という存在は非常に現実的で合理的な存在名訳ですよね。事実日本陸軍も太平洋戦争開戦までは非常に合理的判断をしていたとも言われていたり・・・。


 また近代の軍隊という物、最先端の科学技術との親和性が非常に高い組織でもありますよね。

 銃砲だってそうですし、軍艦や飛行機・軍用車両等、当時の最先端の科学技術が惜しげもなく投入してある訳ですから。
 (ホント、零戦にしろ大和型戦艦にしろ、コンピューターも無い時代に良く造ったものですよね)
 更に言えば、一次大戦にヨーロッパで使用された毒ガスにしろ、広島に投下された核爆弾にしろ、正に近代科学技術の産物である訳ですから。


 そうした軍の存在に拠り発展した広島という街は海軍の呉と共に、非常にモダン思考で、近代化・近代科学技術を”是”とする空気の強い街であったといわれています。

 例えば現在の原爆ドーム、往時の産業振興館はそうした近代工業製品を展示奨励する建築物であった訳ですし、余談ですが、当時の西遊郭、呉の朝日遊郭と並び、モダンな遊郭といわれていたそうですし 笑 。



 では、その近代科学技術(モダン)とは何なのか、あるいは何を目指すのか?
 
 恐らくそれは、「効率」なのですよね。
 近代科学に拠り、効率的な社会を造る事が近代化といっても良いかも知れません。

 そしてその”効率”を端的に表す尺度が、”速度”な訳です。

 実はこの速度こそが近代を象徴するキーワードとも言えそうです。(近代を象徴する新幹線だって正に速度を誇りますよね)


 つまり速度=スピードを是とする空気があったという事。
 更に言えば軍隊という組織、戦う事を目的とした組織でもありますし、近代という時代自体が人々や社会に競う事を求める物であるともいえる訳で、当然レースという物が肯定される空気であったといえそうです。

 実際行われたのも招魂祭という、近代明治になって行われる様になった祭りのイベントとしてという側面も強かったようですしね。


 この軍都としての広島の空気が当時レースとの親和性をうんだのでしょうね・・・・。

 ホント勝手な考察でした・・・。
 長くなりましたので戦後の事はまた改めて・・・・。




 追記


 自動車や自動二輪のレース=モータースポーツは、フランスにて(新興)貴族同士の社交として始まったといわれています。
 まあ、スポーツという物自体、本来は貴族(地域領主)同士の(あるいは地域同士や個人対個人の)社交的行為というのが本来の意味でしょうし。

 自動車技術者や自動車製造会社のオーナー・出資者としての貴族(ブルジョア)同士の社交がその嚆矢でしょうが、2輪の場合はそれよりも乗り手同士の社交といいますか、勇気や技術等々が問われる気がしますし、より個人的な行為とも思えます。

 当時は庶民とまでは言得ないでしょうが4輪に比べれば2輪のレースは割りと一般の人々でも参加出来そうです。


 で、展示のされた資料、戦前の広島のレースで活躍しているのが”チチヤス乳業”のサイドカー。

 往時は広島にもチチヤスに代表されるような、町衆が育っていたという事なのだろうとも思ったり。

 そういえばチチヤス乳業、戦後も芸国国際スキー場を作られたり、スキー選手をスポンサードされていたり(夏見 円選手等)、モダンで、何といいますかモダンな町衆らしい町衆といった存在という印象を持っていたのですがのですが当時からだったのですね・・・。



 

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