2015/12
11
[ #780 ]

FOUJITA

 久々、映画館に出向いてきました。
 広島サロンシネマ、鷹ノ橋に在った時はお気に入りでしばしば出かけていたのですが現在の場所に移転してからは初の訪問です。
 新しくなり昔の様な風情はやはり望めませんが、観客の入れ替え時の対応等、昔ながらで良かったですね。
 
 閑話休題、観させていただいた映画はこの映画。


       foujita.jpg


 「FOUJITA」。エコール・ド・パリの時代その中心で活躍していた日本人画家、藤田嗣治を描いた映画。
 気になっていたのです。

 しかしこれが、行きがけの国道が雨&事故で渋滞、開演時間に5分程遅刻してしまいオープニングを見逃すという失態、更に、普段映画館に出かける折は良く見える眼鏡を持参する事にしているのですが、これも忘れ・・・・・。 全体的に暗めの色調の映画という事もあり眼が疲れてしまい・・・・。
 という事で、出来ればもう一度じっくりと見直してみたい気分です。


 映画の内容自体は結構気に入りましたしね。

 そこで感想等を少々記してみたいと思います(これから観る予定の方は読まれない方が良いかも知れませんが・・・・)。





 この映画、大きく分けて前半と後半に分かれていまして、前半はエコール・ド・パリの時代のFOUJITAを、後半は戦中の藤田を描いてあります。

 
 前半は1922年、「キキ」を描いた作品が話題となりモンパルナスの寵児となった頃から、3度目の妻”ユキ”と暮らしている時代迄。
 ラ・ロトンドやル・ドームでのキキやキスリング達とのドンちゃん騒ぎや仮装舞踏会、雰囲気です。

 また、キキとFOUJITAが2人でカクテルを造るシーン何て面白いですね。
 色々の国籍の人間(芸術家)達がパリに集まり、その交流(ドンちゃん騒ぎ)の中から新しいアイデアが即興的に生まれそれが新しい芸術のムーブメントと成って行くといった事を象徴的に表している様で。
 折りしも当時アメリカではジャズエイジとも呼ばれた時代、ジャズの本質はある面即興性にある訳で、即興で生まれる作品、それは取りも直さず伝統から積み上げられた物では無い事に、新しい物に価値を見出す時代の空気を表している様でも有り・・・・。


 唯、もしかすると此処で描かれている”FOUJITA”、彼のファンの方たちからすると一寸、不満の残る描き方かも知れません。


 何といいますか此処で描かれるFOUJITAは、自分の(描く絵の)事にしか興味の無い人間といった印象で描かれているのです。



 しかし、殆どの芸術家ってそんな物ですよね・・・・?

 また、かなり現実的かつ実利的で個人主義的な人間といった印象を受ける風にも描かれている様にも思えます。


 なんといいますか、芸術家=非実利的でやや浮世離れした人間であってほしいという方からは反論も出そうで・・・。
 確かに、経済や科学といった実利的存在=文明、に対するカウンターカルチャー的存在としての藝術(文化)という捕らえ方、非実利的な人間性の発露としての藝術・・・・・・といった見方もありますしね。


 しかし思えばこの1920年代のパリ、モンパルナス、”平和酔い”とも表現される時代。足掛け5年にも渡る近代戦(第一次世界大戦)が終わり変わりに経済戦争が始まった時代、とも表現される訳でして、金融バブル真っ只中、軽薄とドンちゃん騒ぎの米国から、金を持った多くの人間がパリに集まる。マン=レイやフィッツジェラルドやヘミングウェイ・・・・・・・。
 と同時にその豊かなドルを背景にした画商も多く登場する時代。

 モンパルナスのドンちゃん騒ぎが物語りとして雑誌等で喧伝され、彼らの作品に付加価値を付ける時代。
 そしてそうした芸術作品がある種の投機対象的意味すら持つ時代。

 そうした中、その中心的な画家としての存在を自ら築いたFOUJITA、当然そうした空気も纏っていたでしょうから。

 といいますか、19世紀以降の近現代アート作品の価値(よい作品化どうか?)決めるのは(金融を背景にした)画商が中心となっていった訳でしょう。(それ以前は領主や教会、富豪等がパトロンとして支えていた面が強いか?)
 また近代自我って、結局は個人の自由=個人主義ともいえそうで・・・・・。



 とまあ色々書きましたが、雰囲気のある前半、エコール・ド・パリ時代のFOUJITAという感想です。




 そして後半、戦中の藤田。

 基本的には変わらない。
 ”とにかく良い絵が描きたい”という事にしか興味が無い(個人主義的)藤田。
 戦争画も新たな絵画的挑戦として描く訳で、そこに戦争協力何て政治的思想は基本的に無い藤田。
 と描かれている様に思えましたね。
 (まあ、アッツ島玉砕の絵が人の心を動かしたという事から、新たな視点を得た、という部分も描かれていたとも思いますが)



 そしてラストの心象風景的部分。


 先に、近現代絵画は画商がその良し悪しを決める。と書きましたし、モンパルナスでの舞踏会等が物語りを生み出し、それをマスコミが宣伝して作品に付加価値を与える・・・・・とも書きましたが、勿論絵画の価値はそれだけで決まる訳でも無いですし、そうした理由だけで売れた作品は一時期は売れてもそのうち廃れるでしょう。


 結局よい作品、長い間残る作品は人々の無意識的部分に訴える何かを、合致する何かを内包している物とも思えます。

 そして、現代でも評価されるFOUJITAの作品、それを生み出したのは、やはり藤田に流れる日本人としての血。或いは彼を生み出した日本のアニマ。
 昔から語り継がれる民話(それは日本の人々の共通無意識等を習合してきたでしょうし)や、棚田等の美しい風景、近代以前の我が国の人々の生活や土地・・・・等々といった物だった・・・・・、という事を描いている様思えます。
 そしてそれが世界の人々にも受け入れらたと・・・・・・。


 そしてエンドロールのノートルダム・ド・ラ・ペ のフレスコ画。

 ヨーロッパの人々の慣習や習慣、共通無意識を習合してのはやはりカトリック・・・・。
 

 わたしにはこう観えた映画。
 もう一度じっくりと観たいと思わされる映画でした。

 

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