2015/12
28
[ #785 ]

勝手なる考察 2

 確か1月半程前ですか、交通ミュージアムにてこのような特別展示を観させていただき色々と思ったことを好き勝手に書かいた記憶が有るのですが、その続きです。

 前回は戦前(大正から昭和一ケタ台)の広島市周辺はモータサイクルレースが盛んだったという事に付いて言いたい放題でしたが、今回は戦後について勝手な考察を・・・。
 (あくまで素人の勝手な考察、笑って許していただければと思います)

 


 その特別展の中に確か、昭和21年には既に有志が集まってオートバイのレースを行った~~、といった内容の事が記述されていたのですが、考えてみれば大変な事だと思えるのですよね。
 昭和20年代初頭といえば敗戦に拠り決定的な物不足の時代、そうした時勢下においてレースを開催した方々が存在するというのは驚きでした、特に広島市は核爆弾の被害に拠り一面の焼け野原(交通ミュージアムでも昭和21年、市内を走っている路面電車の画像が拝見できたのですが、正に一面瓦礫の山でした)、そうした中でレースが開催された訳ですから・・・・。

 第一、車両はどう調達したのか(田舎に疎開させていたのかもしれませんが、対戦中は当然のことながら強い供出要請があった筈です)?更に燃料は?OILは?タイヤや装備は? といった具合に相当に大変そうです。

 しかしそうした状況下でもレースを実施りたくなる。

 オートバイの魔力といいますか、モータースポーツの魔力といいますか・・・・。
 一度嵌ると中々抜け出せないのは確かですよね?(故に私もこんな勝手な事をダラダラと書いている訳ですが・・・・)。

 またもう一つ思うのは、対戦中、我が国には”国家”という枠組み=意味しか存在しなかった訳で、個人の意思なんて言える状況では無かった筈ですが、それが敗戦に拠り、個人の自由意志なんて事も言えるような空気も生まれ・・・・、特にオートバイに乗る行為なんて正に個人的行為、そうした事も熱意に繋がったのでは?と思う訳です。

 なんといいますか、頭が下がりますね。


 そうして、有志主導で(いわば草レース的に)モーターサイクルレースが行われ盛り上がって行った・・・・・・、かといいますと、どうもそうでは無さそうです。



 ではどうなったか?といいます、確か当日の展示のどこかにも書かれていた記憶が有るのですが、まもなく車券(勝者投票券)が売られる様になる(昭和24年には既に売られていたとか・・・・?)。
 

 つまりは公営ギャンブルとして開催されるようになっていった(行政に取り込まれた?)。


 まあ、時代背景を考えるとそれも詮無い事かも知れません。


 先にも書きましたが、昭和20年代初頭~前半のこの時期、わが気には決定的な物不足に陥っている訳です。

 太平洋戦争において海の藻屑と化した艦船の総トン数はいかばかりでしょうか?更に航空機。それらは物資の固まりな訳ですから。更に熱帯のジャングルや大陸の土と化した軍用車両等々。
 勿論こうした物的資源と同時に多くの人的資源(人命)も失われている訳です。

 更に言えば徴用された民間商船の数も膨大でしょう(恐らくはこれでけで800万トン以上?)そしてそれらに詰まれた多くの物資や民間の船員に命も海に沈んだ訳です。
 (こうした事もあって戦後、港町の遊郭が寂れたり・・・・・、余談ですな・・・・)

 なんといいますか、当時の指導部、あえて壮大な蕩尽を行っていたのか?とさえ思えます(意識的か無意識的かはわかりませんが、英米相手にポトラッチを行っていた様にも・・・・・)


 更に各地の主要都市のインフラ等、殆どが空爆(空襲)に拠り灰燼と帰している訳で・・・・。


 とにかく酷い物不足の時代。
 そうして物不足が何を生み出すか?といいますと、インフレーション(新円への切り替え等の政策も行われますが効果は限定的?)。
 またそうした中で街の復興も行わなければいけないが、予算は無い・・・・・。


 そうした状況の中で緊急避難的に生み出されてのが、いわゆる”宝くじ”。
 いわば公営のばくち。

 市場に流通する貨幣を吸い上げインフレを抑制すると同時に復興予算を確保するという事ですよね。

 そしてそれは結構うまく行く訳です。


 そしてそれに続いて各種公営ギャンブルが認可され治自体(や省庁)の復興予算確保の手段となってゆく。

 例えば昭和21年に競馬(農水)、23年競輪(通産)、25年オート(通産)、27年競艇(運輸)・・・・・・・。


 そうした時代背景の中で広島周辺レースも車券が売られ、復興予算の確保や復興記念イベントとして開催されていったようです。

 確かに考えればこれしか無かったのかもしれません。

 広島市内は一面の焼け野原。
 其の中で行うには一番良かったイベントとも思えます。

 戦前に開催されていた歴史もありますし、戦後既に有志が集まって開催されている訳ですから、人的資源の確保もしやすい。
 それに第一、ダートで行うオートレース、ちょっとした空き地があれば開催できますからインフラの整備も最小限ですむ訳ですから・・・・(現実に各学校等のグラウンドで開催されていた様です)。
 ライダーだって走る場所が確保出来た訳ですしね。


 そんな感じで昭和34年まで盛んに開催されていったという事らしいですね。



 (そうした背景がある所為か?、若い頃バイクにゼッケン何て付けていますと、近所のおっちゃんから、「アンちゃん、オートレースに出るんかい?」何て声を掛けられた記憶も・・・・。)
 (広島周辺では長い間オートバイのレース=オートレースという認識だったのかも知れません)

 
 

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