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2016/05
31
[ #830 ]

ひとりごと

 最近TV等で車やオートバイの事故のニュースを耳にする事が多い気がします。
 バスやトラックも含め・・・・・。
 実際に事故件数が増えているのかどうかは判りませんが、ニュースとして取り上げられる事は多い気がします。

 確か今日もタクシーが分離帯に衝突し客の会社役員が亡くなったとか、リムジンバスが運転手の体調不良で事故を起こしたとか・・・・。また、昨日のニュースだったと思うのですが群馬辺りで、軽自動車とオートバイの右直事故で4名亡くなったなんてニュースも・・・・。
 また確か先月でしたか?箱根ターンパイクでポルシェを試乗中の自動車評論家が単独事故で亡くなったとか・・・・。

 
 トラックやバスといった所謂プロドライバーの事故に関しては、規制緩和や労働環境の問題(更にもしかすると・・・?)について語らざるを得ず、中々難しい事もあり置いておくとして・・・・・。
 また、私のような人間としてはそれ以外の事故のニュースの方が耳に付く訳でして・・・・。

 そこで、確か以前にも気になると書いた記憶の有る自動車評論家の単独事故の事。
 これが気になったのですよね。


 恐らく世間では”公道でとんでもない速度を出し自業自得だ、とんでもない所業だ・・・・” といった意見が唱えられていたであろうと思いますし。またそうした行為を職業としている自動車評論家という物にたいするバッシングもあったのでは?とも思えます。


 が(まあそうした言い尽くされたステレオタイプの事を書いても仕方ないですし)、このニュースを聞いて個人的に思ったのは、この亡くなられた方、恐らくは”魔が差した”のだろうな・・・・という事。


 試乗車を公道である程度攻め込んで記事にするという事を職業として長年されて来た方でしょうから、ああした事故に繋がるような走り方をする必然性が無い事、また其のリスクは熟知されていた筈でしょうし、何せそれで口を汚している方ですからね・・・・。
 それが何故事故に?というと・・・・矢張り”魔が差した”としか思えないのですよね(勿論、何かしらの機械的なトラブルの可能性もゼロでは無いでしょうが・・・・)。


 例えば(最近は余り観ないですが)モータースポーツ等でも”何故そこでそんな無理をする必要が有るんだ?”と思える状況で無理をしてクラッシュする選手ってしばしばありますよね・・・・。或いはエンジンを壊したり・・・・(後で監督やオーナーから何か言われるんだろうな・・・・何て思ったり)。
 まあ、最近はそうした事をする選手も少なくなった気もしますが・・・・。

 また、モータースポーツに限らず、他のスポーツでもそうした凡ミスをする選手も減ったような。
 恐らくは各種メンタルトレーニングのメッソッド、ノウハウの向上何て事が理由として有りそうです。また、殆どのスポーツにプロ団体が存在するようになり、そうした(凡ミスのある)選手は上にいけない面も増えているのかも知れませんし。
 そう、プロって職業(ビジネス)ですから、ミスは許され辛いでしょう。

 そこはしかし人間、やはりたまには魔が差したり、凡ミスもあるから人間らしい気もするのです(サイボーグじゃ無い訳ですから・・・・)。それにそうした選手故に魅力的な面もありますよね(例えば昔のF1のN=マンセルとかね)?。


 何だか話がそれてしまいましたが、そんなこんなで事故死した自動車評論家の方、正に魔が差したのでは無いか?と思った訳です。其処まで攻める必要も無い状況で何故かやってしまった・・・・と。
 (そしてまたある程度判っていたゆ故、他の車が殆どいない場所で、そして単独事故だったのでしょうし)


 私も若い頃結構経験が・・・・・。

 其処までペースを上げても仕方無い状況で(一般道は押しなべてそうですが・・・・)、ペースを上げて転倒とか。草レースで凡ミスで転倒とか・・・・散々やってきた気がします。(まあお蔭様でこの20年余り、一般道で転倒してませんが。少しは学習したか?)

 でも人間なんてそんな物な気がします・・・・。


 ただ、余りに高性能な自動車やオートバイは其のときのリスクが高い訳です。
 またそれ故に魅力的な訳でもありましょうが・・・・。


 まあこんな事を書くと、公道でとんでもないスピードを出して何考えてるんだとか、とにかくスピード違反=絶対悪といった非難がありそうです。
 或いは、交通法規を守らない人間=絶対悪といった非難が沢山来そうです。

 更に言えば最近。ともかくルールを守れ、あるいはルール違反だ、と他者を叱責、攻撃する論調、人が増加している気もします。


 まあ、確かに正論かも知れませんが・・・・・。



 しかし、思うのですよね・・・・・・。


 ルールって、所詮は人がご都合主義で作った物では?何てね(特に最近)。

 (とは言いましても、別に私自身ルールに従う事はやぶさかでは無い人間の心算でもあります。結構、硬いとか真面目と評されている気も・・・・)。
 
 
 それに、道交法を全て熟知し全く僅かな違反もせず走っていいる人って無いと思えるのですがね。
 たとえ無事故無違反だとしても。(この場合の無違反=無検挙という事でしょうし・・・・。またもしそんなドライバーがいたら、結構迷惑かも・・・・・ 笑 )
 
 それに、制限速度や道交法を遵守していても事故はゼロにはならないでしょうし・・・・。


 こうした事を書きますと非難を受けそうでもありますが、道交法に限らず成文法という物(或いはルールという物)、言ってみれば”手段”ですよね?
 違う言い方をすれば、道具、ツール・・・・・。

 詰まり目的ではない訳でして・・・・・。


 別に道交法を守るの事を目的としてハンドルを握る人はいないわけでして・・・・。
 目的は移動であったり、楽しみであったり、仕事であったり・・・・・・。
 別の物ですよね。


 そして道交法(ルール)という手段の目的は、道路を使用する人々がより快適にスムーズに不快でなく安全に等々・・・道路を使用する為ですよね。

 故に極端な言い方をすれば、砂漠や原野の中の見通しの良い一本道(で他に車や人がいない)ならば、別にどんなスピードを出して問題ない訳で・・・・。
 他者(被害者)は存在しない訳ですから。

 言い換えればこの他者の存在に対する想像性が社会性の基本とも言えそうで・・・・。(詰まりルール厳守主義=社会性とは一寸異なるといいますか・・・・・)


 現実もある面そうですよね、皆が快適で事故が無ければ、其の瞬間は道交法は余り意味を成さないわけで・・・・。


 また道交法で限らず法律(成文法)という物、一つの社会、枠組みにおいて、其の構成員が拠り快適に生活出来る事、無益な争いを減じる事、幸福に活動できる事・・・・・等々を目的として制定された道具な訳でして・・・・・(或いはだった?)。


 理想論を言えば、成文法なんて存在しなくても皆が幸福に暮らせる社会の方が、そりゃ快適ですわな。
 大体、有史以前なんて成文法なんて無くても皆暮らしていた訳で・・・・。江戸時代の庶民も成文法なんて余り関係なかった筈ですし、故の天下泰平とも言えそうですし・・・・・。


 そしてこの目的(皆が快適であること)を忘れた、手段。それは一言で言えばやはり単なる力すなわち”暴力”となる気がするのですよね。

 
 何だか話がずれてしまいました・・・・(何時もか・・・・)。



 しかし、先日の群馬の右事故といい昨年のこれも確か群馬のオートバイ同士の正面衝突といい、オートバイの事故の報道が耳に付くのも事実。

 そう大型のオートバイ、高性能なだけに何かあると残酷な結果が待っているのですよね。

 それ故により社会性(他の車の存在)を留意しなければならない乗り物。
 大体、物理学の法則には勝てない訳ですし・・・。
 
 まあそれでも、或いはそれ故魅力的な訳で・・・・。


 其の当たり覚悟して乗るしかない訳です。あるいは乗り続けましょうね。



最近オートバイを引っ張り出そうとすると雨なので、変わりに詰まらない事を長々と書いてみました。
 
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