2016/07
19
[ #845 ]

HIRO TSUNODA

 クラッシクとジャズのクロスオーヴァー的な楽曲、店でも流しやすくて結構すきなのですが、このアルバムもその範疇ですかね(一寸違う気も・・・・ 笑 )?


           般若心経


 「般若心経」    HIRO TSUNODA

 



 つのだ ひろ氏の歌う般若心経・・・・。 


 メロディーが、べートーベンの交響楽第9番、所謂第九。歌詞はタイトルのとおり般若心経。そしてアレンジがゴスペルという物菜のですが、個人的には結構違和感無くお気に入りなのです。(バーで流すには如何な物か・・・・とも想いますが・・・・)


 閑話休題、言ってみればメロディーの第九はコーカソイド(白人)文化圏の聖なるメロディー。般若心経はコンゴロイド(黄色人種)文化圏の聖なる文言。そしてゴスペルはネグロイド(アフリカン・アメリカン)の聖なる歌唱法・・・、という所為でしょうか、上手くマッチしている気がするのですよね。
 聖なる雰囲気を醸し出すものって人種を超えるのかもしれません(あるいは人類・ホモサピエンス共通の無意識、あるいは遺伝子にマッチするとか・・・)?


 また、もしかすると、私が浄土真宗故かも?とも思います。

 浄土真宗は基本的に般若心経は唱えないのですよね。故にこの曲も客観的に感情移入し過ぎず聞く事が出来る故、一つの楽曲として気持ちよく聞けるでは?とも思ったりもします。

 実際に、葬式の場等で般若心経を唱えれられる宗派のお客様等からは、一寸、如何な物か・・・?といった意見を聞くことも・・・・。

 そうしたか方々は、もしかするとこうした行為(お経をポップス的に唱えること)自体、少しばかり受け入れがたいものが有るのやも知れません。
 (葬式にこのアルバムを流すことに対する是非の感覚に近いかも・・・・・)

 (因みに浄土真宗では葬式の場では、仏説阿弥陀経&御文書の白骨の章が唱えられることが一般的と思います。)


 閑話休題、個人的にはお気に入りなのです。

 (ホンと音楽的な話しでは無いですな)
  






 追記、

 では般若心経、どんなことを言っているお経なのか・・・・?

 一寸勝手に現代風に意訳してみますと・・・・・。


 昔、賢い方が深く考え、生きることが少し楽になるヒントを見つけられました。
 それは・・・。

 たとえば、”百聞は一見にしかず”何て言い回しもある様に、目に映る物は確かな物に思えますが、実際には目に映っていても見えていない、認識出来ない事ってしばしばありますよね。
 最も確かに想える視覚ですらそうなのですから、他の感覚や、思ったり考えたりして得た結論なんて物も、実は結構いい加減であてにならない物なんですよね。

 そう思うと、色々の主義とか思想とか学問とか・・・・・、何て物だって、所詮はいいかがんな人間が造ったものですから、そんな絶対的なものではないのですよね。

 つまり、善いとか悪いとか正しいとか間違ってるなんて話だって、実は絶対的なものでは無く、まあ、単なるベクトルみたいな物に過ぎない訳で、所詮はそんな物なのでしょう。

 どうです、こう考えると一寸楽に成りませんか?

 まあ、確かにそれでも年老いたり、死んだりすることは不安で怖いことかもしれませんが、”老いたくない、死にたくない”と足掻いたり怖がったりすればそれから逃れられるか?というとそんなことは無いわけで・・・・。それに生きている間は死んではいない訳ですしね・・・。

 なんかいい加減な話に聞こえるかもしれませんが、結局そんな物。絶対的に正しいと言う物なんて無いわけで、この感覚が解ると結構楽に生きれるのです。

 まあ、それでもしてはいけない事もあるとは思いますが・・・・、どちらにこの世なんてそうした感じで安直に正しいものなんて無いわけで、その上で日々前向きに生きていきましょうよ・・・・。


 と、まあ、私はこんな感じで捕らえている訳です・・・・。

 ホンと勝手な解釈で申し訳ない。

 しかし、浄土真宗の白骨の章だって似たような事を言っている訳で(少なくとも私はそう想っています)、この辺りが東洋的感覚といいますか、よいですよねー~~。

 

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