2016/07
29
[ #849 ]

カクテルのはなし 4

 カクテルなる飲み物、あるいは飲み方、言葉・・・・、といった存在のはなしのつづきなのですが・・・・。
 (あくまで私の主観的な見方ですが・・・、あるいは妄想?)


 18世紀末頃にアメリカで酒を混ぜて飲むといった行為が始まり~カクテルと呼ばれるようになり~19世紀初頭ころにアメリカで一般的に認知され~19世紀後半ヨーロッパに広まり・・・・・・、何てはなしを書いたわけですが、ではさてその後は・・・・、と言う話。


 そう次のカクテルの転換点と言うはなし。

 恐らくは1920年代にカクテルという存在が、更に一段階進み洗練されたのでは?と言うこと。


 1914年から18年渡って続いた第一次対戦。

 この後半にアメリカが参戦し、ヨーロッパに渡った米兵がカクテルを更に伝え流行らしたと言うことは有るでしょう(それこそ戦場でのマティーニなんてはなしも・・・・・)。また、ヨーロッパの連合国はアメリカの参戦により勝利したとも言え、アメリカがある種ヒーロー的となりアメリカ的な酒、すなわちカクテルの流行にも繋がるということは当然想像出来る訳でして・・・・。


 更に1920年代のアメリカは、所謂ジャズエイジなんて呼ばれる時代。
 理由は色々考えられますが(一次大戦の一人勝ち、その賠償金、中央銀行の成立と金融緩和・・・・等々)、何はとまれ当時のアメリカ金融バブルの時代、金余りの時代なのですよね。
 更に禁酒法の実施されている時代。

 この禁酒法、種類の製造と販売を禁止している物で、飲酒自体を禁止している訳では無いのですが、やはり大ぴらには飲み辛い雰囲気・・・・(大金持ちはあらかじめストックしておいた酒で、自宅で派手なパーティーなんてはなしも・・・・グレート・ギャッツヴィーの世界ですな・・・・)。
 そうした中、一見お酒に見えない酒として、カクテルが発展した・・・・、等とも言われますが、今回は其の視点ではなく・・・・。


 金は有るけど、おおぴらに酒が飲めないアメリカを離れ、ヨーロッパを目指したアメリカ人はこの時期かなりの数に上ると想われます。
 そうしたアメリカ人に人気の場所のひとつがやはりパリでしょう・・・・。

 またこの時期前後のパリ、ロシア革命を逃れ東欧からやって来た連中も多い(貴族とか、金持ちとか、ユダヤ人とか芸術家とか・・・・)。

 特に19世紀末を経た仔の時期のパリ、藝術の都とも呼ばれとそうして人々が世界中から集まっているわけです(後にエコーロ・ド・パリ等と呼ばれる様な人々)。

 例えばピカソ・ミロ・ダリ・・・・等はスペインからでしょうし、ザッキンやヴァシリエフはロシア、キスリングやパスキンは東欧、クローグやヴィデルは北欧、マン・レイ等はアメリカから・・・・、そしてフジタは日本・・・・、勿論フランス人のアーテイストも・・・。

 そして新たな芸術文化が起こり遊行する。
 ダダ、キュビズム、シュールレアリズム・・・・・。

 正に現代アートの開花の時期。モダニズム全盛の時期、アールデコの時代。

 そしてそこでモダンな酒、ジャズ的な酒、あるいは飲み方としてカクテルが持て囃され、世界的に流行する。

 実際この時期から、日本でもカクテルと言う言葉が色々の媒体にやたらと登場しはじめる訳でして・・・・(ホテルや客船、飛行機等でのサービスを記したパンフレットや各種雑誌等・・・)。


 上にモダンな、あるいはジャズ的な・・・・等と書きましたが、言ってみれば・・・・、
 非伝統的で、主観的で、新しく、科学的な論理的雰囲気も在り、即興的でもあり、また、華やかで、少々軽薄でもあり・・・・・・。

 ある種この時期、カクテルにも現代アート作品的な位相がもたらされたともいえそうです。
 (コンペ等で造られるカクテル、現代アートの作品的ではないですか・・・?)


 そしてそれらを総括して1930年に出版されるのがサボイ・カクテル・ブック、というと妄想が過ぎますかね?


 しかし、どちらにしろこの時期、カクテルはある種モダンアート的、そうした空気を持つ存在としても見られていたのは確かでしょう。


 追記

 少し前に観た映画「FOUJITA」、其の中で造られるカクテル、其の辺り見事に描いていた気がします。


 

  

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