2016/11
27
[ #887 ]

聖の青春

 先日、久々に映画館で映画を観て来ました。

 その映画はこちら・・・。

 
   映画ポスター


 「聖(さとし)の青春」  (ポスターに主演の松山ケンイチさん他のサインが入っていますね)


 
 


 そうこの映画、少しばかり気になっていたのです。

 (あるいは”村山聖”という棋士の存在が気になっていたというべきか・・・・)

 という事で映画も村山聖の生誕地、安芸郡府中町に在りますシネマコンプレックスを選択。



 閑話休題、村山聖という棋士の存在を知ったのは何時頃だったかは良く覚えてはいないのですが、たまに観るTVでの将棋の対局番組等で広島出身の強豪の若手がいるという事を聞き気になっていたのです。
 (私自身、将棋は指さないのですがTV等で将棋の対局を観るのは結構好きだったりするのです・・・・)


 そして実際、TVの画面を通してみる村山棋士の印象は強烈そのもの・・・といいますか、何といいますか・・・・、兎に角、印象に残る棋士では有った訳です。


 特に記憶に残っているのは淡路棋士との大局をTVで観た時ですかね・・・?


 それは ”何だこの小汚い奴は・・・・”という物・・・・。

 ボサボサで脂ぎったフケだらけの頭髪、薄汚れて脂の浮いた顔、体型に合って無くかつ皺だらけのスーツ、第一ボタンをだらしなく開けたシャツ&緩めたネクタイ・・・、伸び放題&垢まみれの爪・・・・、等々。


 いかに若者とはいえその服装は、対戦者に失礼では無いか?と正直想った物です。

 (勿論ムヒカ元大統領の様に、ネクタイという存在は自由主義経済、或いは国際金融資本、プロテスタント・・・等々の奴隷となる事の象徴故にどのような場所でも締めない・・といった考え方も在るでしょうが、まあ、それとは違いますしね・・・ )


 特に将棋という物、柔剣道といった武道同様、礼に始まり礼に終わるという存在。更に言えば、敗者は自らの口で勝者に対し「負けました」と宣言しなければならないのが作法。そうした意味でも、もしかすると柔剣道以上に礼が重んじられるといいますか、武士道的といいますか・・・・、まあ、そうした物と認識してました故、その姿は異形そのものといいますか・・・・。

 兎に角、強く印象に残った訳です。


 またその後、こんな本が出版された事も聞き及び、思わず購入&読了・・・・、何てこともしましたし・・・・。

 
 本




 (まあ、この本を読んで、対淡路戦の事情も解った訳ですが)



 そしてまたそれ以上に、バカナリヤをかわいがって下さるお客様の一人、”H”様が、この村山聖が小学校の頃に何度か大局された事が在り、そのお話をカウンター越しに聞かせていただいた事もありまして・・・・・。

 
 これはやはり映画館で観ておかなければ・・・・と想った訳です。
 

 
 そこでこの映画の感想ですが・・・・・。


 一言で言えば、”悪くは無い、でも物足りない・・・” といったところですかね。

 演技派の俳優さんが多く出演され、またそれぞれに名演とも想えるのですが・・・・、それでもやはり物足りない印象なのです。


 私が想う村山聖という存在の迫力、意味、魅力といった物が余り描かれてないといいますか・・・・・。
 (それ程古くない実在の人物を主人公に映画化するのは難しいのでしょうかね?)



 そう、私が想う村山聖という存在の魅力、それは・・・・・。


 やはり彼が幼年期に病気を罹患したことにあると想うのですよね。


 幼年期にネフローゼという非常に身体的に苦しく、また完治の可能性も殆ど無い病気を患うということ・・・・。


 その苦しみ、或いは不条理に対し、その幼さで立ち向かわなければ成らなかったわけでしょう。
 それは恐らく、徹底した内観が求めれれたでしょう。
 (親の責任にしても何一つ解決はしないですし、他人にあたったところで苦しみが減じる訳でもないですしね・・・)

 また、同病で入院している同年代に子達の”死”も目の当たりにした訳でしょうし。

 そう、死という絶対的不条理に対しても、自分一人で立ち向かって来た訳でしょう。

 その徹底した内観、禅的でも在るでしょうし、哲学的でもあるでしょうし・・・・、またそれは他人の内面に対する想像力もはぐくんだでしょうし・・・・。

 またそうした思考は個人として世界やそれがもたらす不条理と立ち向かう事に成るわけでしょうから。


 其れゆえの彼の厳しさと他者に対する優しさ・・・・・、そういったものが描ききれていたかといいますと・・・・。


 一寸そんな印象でしたね。


 まあ、それも仕方ないのかも知れません。

 現在日本で製作されるこうした映画、いってみれば、ある種ファンド的でもあるわけでして、俳優はさておき、政策側はいわば勝ち組、村山聖の様に、自らに降るかかる不条理に彼のように立ち向かわなくても良い立場の人達とも言えそうですしに・・・・。

 
 閑話休題、本来(或いは江戸以前)の日本人は、考えるベースが何時かは自分にも死が訪れるという、いわば憂き世の不条理を基にした文化に生きてきた様にもおもえますし、そうした意味でもこの村山という棋士の存在は魅力的に感じられるのでは無いかと想うのですよね・・・・。

 (そう、近代は、デカルトのコギトではないですが、生きているということに対する安直な肯定以外無い様にも思えたり・・・ 笑 )


 とまあ、そんな事を考えながら観た映画でしたね。



 因みに原作本ですが・・・。


 帯に

 帯


 ”小学校高学年から読めます” と記してありますように、少々児童書的な読みやすさに仕上げてある気がしますが、多くの方が読める本ですし、また見込むと深みも感じられる魅力ある本と想いますね。

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