2009/10
03
[ #92 ]

 雑考 20  フラメンコ

 何年か前にマドリードで、フラメンコを観に行った事が有ります。

 



 そこで、私が感じた事は、あるいは、私の心に浮かんだのは”死”のイメージ・・・。といいますか、我々はいつか死を迎えるといった定め、といった運命の様なもの・・・。特に、最後にあった男性のソロダンス(正式になんと言えばいいのか知らないのですが・・・)に強く感じた覚えが有ります。また、女性の踊りにも(死と、生きる喜びを・・・)。 

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 そういえば、スペインの国技、”闘牛”にも明らかに死のイメージが付いて廻る気がしますし(残念乍、闘牛は未だ生で見る機会に恵まれませんが・・・)、またスペインで人気の2輪のレース(これは少々齧った事があります)、にも死と危険の香りが付きまとっている気がします。

 特に闘牛は、A・ヘミングウェイの闘牛士を読んでも、G・バタイユの眼球譚にしても、あきらかに死の存在を感じさせる気がします。また、逃れられない死が在るからこその、生の喜び、生への感謝といったものを闘牛とかフラメンコには感じます。


 しかし、その闘牛も、最近では動物愛護団体等の抗議などにより、開催が減っているとか・・・。

 彼らの言い分としては、闘牛は残酷であるという事なのでしょうが、元々人間なんて他の生き物の生命を奪わなければ生きていけない残酷な存在でしょう。或は、”死”を大衆の前で行う行為が残酷だと言うのかも知れませんが、元々、生き物は、死の運命からは逃れられない存在で、いくら見ない振りをしても、いつかは訪れるものですよね?


 恐らく、近代とは、自我の確立を求められる時代なのでしょうが、自我の壁が高くなれば成る程、死の恐怖なり、それに類するものを個人で引き受けざるを得ない時代ともいえると想います。そして、その現実を受け止めきれない人間は、死の香りとか、老いの香りとか、病の香りを遠ざけようと(観ないようにしようと)するのでしょう。恐らく、それが、現代の健康ブームとかのヒステリックな対応に顕れているのでしょうが、いかがなものかと・・・。
 いくら、見ない振りをしても死はいつか訪れる訳で、だからこそ、生きている今が喜べる・・・、というのが、闘牛なりフラメンコの表現ではないかと想うのです。自分が見たくないからといって、それらを攻撃されてもね・・・。


 相変わらず、つまらないことを書きなぐってしまいましたが、機会があれば、生で、フラメンコや闘牛を見てみたい私です。それまで、スペイン様、頑張って国技を守ってね・・・。

 ますた

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