2017/04
07
[ #924 ]

広島市内にて

 一昨日は某インポーター様のワインの内見会(試飲会)の為広島市内に出向いておりました。

 
 またこちらの試飲会こんなグラスが使用されるのですが、これが良いグラスで(個人的意見ですが)、いっぱんのテイスティンググラスより美味しく感じれれる気がします。


  テイスティンググラス


 


 そんなこんなで、何はとまれ出品されているワインの殆どに口を付けさせていただき会場を後にしました(ありがたい事です)。

 それから天気も良いし、ポカポカ陽気で暖かいという事もありまして酔い覚ましがてらこちらを少しばかり散歩・・・・。


      川沿いの桜


 平和公園ですね。見ごろの桜が美しかったです。

 そこから昼食がわりにとワインバーに引っかかり(まだ飲むのか?)、さらに周辺を散策。


 先ず立ち寄ったのは浄国寺。

 此処にはこんな物があります。


      六地蔵


 六地蔵。

 このお地蔵さん、原爆で一体の首が切れて飛んでしまい行方不明になっていた物をきとくな方が見つけられ戦後再びこうして祭られる様になった物とか・・・。

 側にこのような碑があります。


     碑




 そこからさらに少しあるいてこちらの建物を愛でに・・・・。


    券番



 この建物は・・・・・。




           券番2




 先日廃業された”広島券番”様の建物です。


 という事は今年まで広島市内にも芸妓さんがいらっしゃった訳ですね・・・・・。

 知りませんでした(うかつでした!)。

 しかし広島市内、花街のイメージが無かったのも事実ですよね。
 特に戦後は・・・・・。


 閑話休題、そんなこんなでこの建物が解体される前に愛でさせていただいたという訳です。


 こうした建物、全校的に急速に無くなって来ていますしね・・・・・(そんな印象です)。




 

 追記


 このあたり、舟入・土橋・小網町・堺町(旧地方町・西新町)周辺・・・・往時は遊郭地だった訳ですが原爆にて焼け野原になったわけでして、戦後にも券番が有ったとは実は知らなかったのです・・・・。

 一寸其のあたり私の妄想も含め(笑)、少々推察?まあ、想像の扉を広げてみますと・・・・。



 江戸期浅野藩当時の廣島(旧市街)には基本的に官許の茶屋街(遊所・所謂遊郭)は無かった訳ですが、明治維新以降軍都としての発展が決まり、当然の事ながら軍人さん達の遊び場・慰安所としての遊郭の設置が決まる訳ですよね(明治10年代)。

 更に日清戦争当時は一時広島城内に大本営も置かれ(いわば日本の首都ともいえそうで)、それを切欠に急速に広島は(軍都として)発展をしていく訳ですよね(明治20年代以降)。

 因みに往時は舟入遊郭と呼ばれていたようです。

 明治27


 またそうした発展に伴い弥生町遊郭(東遊郭)も新たに開かれ、西遊郭と呼ばれるように成り・・・、東西遊郭が戦前は覇を競っていたとか・・・・。


 因みに戦前、市内に券番は・廣島本券番・新券番・東券番・三篠券番・己斐券番・宇品券番が存在したようで・・・・。


 因みに往時の西遊郭周辺


 昭和14


 先日閉めれれた広島券番は旧廣島本券番の近くですね。
 (また、今で言えば羽田別荘さん辺りが遊郭地の南限、浄国寺さん辺りが北限ですかね?)

 そして原爆~終戦。


 そして戦後・・・・・。


 旧西遊郭周辺は特飲街(色町、所謂赤線地帯)に指定され復興していく訳ですが・・・・、諸事情により戦前の賑やかさは戻らなかった様で・・・。


 そして昭和30(1955)年の保守合同55年体制のスタートを切欠に、所謂売春禁止法の成立~発布~完全施行(昭和33年3月末)と相成る訳ですが、この時期、日本各地の色町は施行後の生き残りに色々あがく訳ですが・・・・、旧西遊郭周辺は券番を作り花街として生き残ろうともしたということなのでしょうね?

 そして・・・・・。


 とまあ、そんなことを妄想しながら散歩していた訳です  。


 相変わらずですな。

 

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