2017/07
23
[ #951 ]

ビールのはなし 6

 一寸前回の続きというか補足というか・・・・。

 我が国のビール、一部の地ビール(クラフトビール)を除き、特に前世紀までは(或いは今でも)、殆ど似たタイプのビールしか生産されていないわけですが、その理由としては、高温多湿の日本の夏にはアメリカスタイルのややドライで軽めな低温発酵ビールが好まれたとか、宴会(共同体)的飲み方にでは細かい味の違いを個人的に楽しむ(嗜好品的)飲み方が育たなかったとか、基本的に日本のビール製造は大規模装置産業に拠る大量生産品であった故・・・・等々が考えられると想うのですが、もしかすると戦中~戦後の食管制、配給制の影響もあるのかとも想われたり・・・・。


 

 
 実は我が国、明治中期頃までは色々なビール製造業も存在していた様なのですが、結局日本のビール産業は大規模装置産業故、中小の製造メーカーは淘汰され、明治の後半頃には数社の大メーカーが残るだけになっていたと想われます。

 

 その後20世紀初頭(確か1906だったか?)、政府主導でキリンを除くメーカーが資本合併し大日本麦酒となり基本的に2社体制なるわけですが・・・・。

 (そういえば、戦後60年代くらいにやはり政府の斡旋でオートバイメーカーが4社体制になったり、プリンスと日産が合併したりなんてのも似た印象が有ります・・・、結局、敗戦を経ても日本の行政の有り方とかメンタリティーって余り変ってないのかも知れません・・・)


  唯ブランド名は生きていた様で、当時の麦酒のポスター等観るとこんな感じで、・サッポロ・えびす・朝日の各銘柄が一緒に掲載されていたり・・・(他、時代によってはカブト麦酒とかも・・・・・)

 
 麦酒



 唯、日中戦争の長期化~太平洋戦争といった流れの中で食料統制等が進み、確か1940頃から家庭用のビールが配給制になり、更に戦争末期から戦後に掛けては食料の一元管理が始まり・・・・・。

 つまり戦中(43年だったか?)からは、はっきりって1種類の麦酒しか供給(配給)されないという状態が出来上がる訳です。
 (戦後も40年代一杯続くのかな・・・・)


 で、その何が日本の麦酒の画一化に繋がるのか?というと・・・・。


 明治から、大正ロマン~昭和モダンといった時期、ビールって、アルコール度数の割りにかなり割高なのですよね。

 で当時は割りと年収の高い都市部で消費される、いわばお洒落なアルコール飲料だった訳で(上のポスター等もそんな雰囲気をかもし出してるとおもいますし、当時の麦酒のポスター全般にそんな雰囲気で一寸面白いのですよね)、地方や田舎でな殆ど消費されていなかった様に想われます。

 それが配給制度により、都市部や地方に関わらず一元的に供給される、しかもそのビールは基本的に同じ味のもの・・・・。



 つまり其の頃に、麦酒とはそうした味の物”だと多くの日本人に刷り込まれた面が結構あると想われるのですよね。


 更に戦後の高度成長期は言ってみれば会社中心の社会だった訳で、そうした場合飲む機会も等も会社中心、或いは部署単位等の宴会、(いわば共同体的、村社会的な飲み)が中心となっていき、そこでそうした状況に使いやすいビールが大量消費され、そうした存在となっていく・・・・・。


 「とりあえずビール」 なんて言葉は正にその象徴といいますか・・・・。

 確かにビール、その酔い口も含め奏した場面に愛称がよい気がするのですよね。

 大勢で飲んで、ついでに肩でも組んで歌でも・・・・といった感じに・・・・。
 (オクトーヴァーフェストなんてのも一寸そんなイメージですよね)
 (まあ、だからこそ、故に、昔は”バーにはビールを置くものでは無い”、といった話も有った訳で・・・)

 緊張感とは逆の雰囲気になるお酒といいますか・・・・・。
 


 なんて感じで話がとっ散らかって来たので、続きはまた改めて・・・・・。


 

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