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2017/11
24
[ #984 ]

大相撲

 最近ニュースをチェックしていると矢鱈と大相撲の話題が目に付きます。
 何と言いますか、少々多すぎという気がしますね(他にもニュースは有りそうですし)。

 閑話休題、大相撲に興味が無いのか?と問われると「無い訳ではない」というのが答え。
 私の性格として、基本的に全ての物事に興味は惹かれます、ただそれは客観的視点に基づいた興味の惹かれ方でして、インサイダー的といいますか、何かに対してのファン的興味の持ち方では無いのです・・・。それ故にこの大相撲に対する過剰とも思える報道が少々鬱陶しく感じたりもする訳です。

 或いは逆にこうした感じで過剰報道されるという事象に対して少しばかり興味深く感じるというか・・・・。


 そうした事も含めこうした報道を目にして想うのは”定期的にこうした問題が出てくるよね・・・”という事。そしてそれは何故なのか・・・・?なんてね。
 

 で想うのは、そもそも”大相撲”とは何ぞや?ということ(私の思考はえてこうした方向に動くのです)。


 等というと”それは国技です”。といった答えが返ってきそうですが・・・。


 そうなると”国技”とは何ぞや?或いは其の定義は?はたまた国技という言葉が使われだしたのは何時からか(江戸時代には無かったよね?)? 等々等々・・・・・。
 とまあこうなる訳です。が、これを追求しすぎると色々難しそう(或いは楽しいかも)なので今回はやめというか、ああ国技なのね、としておいて・・・・・。
 しかし相撲に対しては他にも色々の言い方がありますよね?という方向で。


 例えば、神事だとか、伝統文化だとか、興行だとか、スポーツだとか・・・・・。


 そう考えると広義としての「相撲」という存在は、確かに神事・祭祀的要素が強いともいえそうですし、そうした視点からすると国技という位置づけもなんとなくわかる気もする様な・・・・。

 しかし最近ニュース等をにぎわしている「大相撲」となると・・・・・。
 それは一つの団体、組織、とも言えそうです。


 またもう少し異なった視点ですと、プロスポーツなのか、興行なのか、文化事業なのか、宗教行事なのか、ショービジネスなのか・・・・と。
 まあ、それぞれの要素が全て含まれての「大相撲」、というい方も出来そうですが。 
 ただ言ってみれば、TV放映の都合にあわせ仕切りの時間や回数に制限を設けた(つまりルールを変えた)時点で、プロスポーツやショービジネスとしての意味合いが強くなったのは確かでしょうね。
 故に八百長といった事も問題視されたりするようにもなったり(まあ明治時代にもあったかな)。

 では江戸(時代)の大相撲はショービジネス、言い換えれば興行や見世物では無かったのか?とも言われそうですが・・・・。

 勿論そうした面もあったでしょうが、何はとまれ回向院で開催される勧進、詰まりは明暦の大火の死者の鎮魂ということを大義名分として第一にかかげていた、あるいはそうした縛りを設けていた時点で第一義は宗教的あるいは神事的な面は残っていたでしょうし、また著名な力士を大名が抱え扶持をあたえていた時点で、大名同士の社交という要素も強かったようにも想えるのですよね。
 (勿論、勧進ですので寺への寄付・寄進という意味も・・・)


 そう言えばここのところ多くのスポーツがプロ化されていますよね?古くのプロ野球から始まり、Jリーグの男子サッカー、後バスケットボールやバレーボール。陸上などもプロ宣言する選手が有ったり・・・そういえば先日も某体操選手が・・・・・。
 オリンピックも1984年のLA大会以降そうした方向ですし(まあ其の先に某スノーボード選手の服装問題なんてのもでてきたり・・・・)。
 例の「参加する事に意義がある」といったオリンピック精神はどこに・・・・・何てね。


 そう全てのスポーツがプロ化の方向に向かい(アマチュアスポーツの代表的に見られてもいた)高校野球などもその予備軍というか(特に80年代辺りが)、そうした傾向が強くなった気がします。
 またなんというか、プロ=正しい。アマ=甘い。といった傾向というか風潮というか・・・・(プロフェッショナルなんていうプロ礼賛の番組もあるとか)。

 
 しかしスポーツにおけるプロとアマの違いって・・・・・。


 まあ本来のスポーツって全てアマだったわけですよね。所謂プロスポーツが誕生するのは恐らく19世紀の終わりごろ(まあ、江戸時代の関取はプロスポーツ選手ではないのか?という切り口もありそうですがそれはひとまずおいておいて)。
 それまでのスポーツは基本的にアマチュアスポーツといいますか、そうした言い方も恐らくはプロスポーツが出来て以降言われ出したように思えます。

 ではそれまでのスポーツはなんだったか?というと・・・・

 個人的な見方かもしれませんが・・・第一に”社交”だった様に、そして祭祀的だったように思えます。

 そして参加者は、確かに勝つ事を目指しますが、それ以上に卑怯でない事=信用できる事、或いは男らしさが問われたように思えます。
 また見る側もそこを見るというか、つまり”負け様”が大事といいますか・・・・。



 で、プロスポーツ。

 プロの選手は、勝つ事が第一義。それが収入や地位にランキングに直結する。
 どんな汚い手を使っても勝つ事が大事、というのがプロ選手。

 というと言い過ぎですかね?

 まあ観客を喜ばせるのが第一義という言い方も有りそうですが。
 (さらにう穿ちをすれば興行主やスポンサーを儲けさせるのが良い選手ともいえそうで・・・・)
 

 根本的に違いますよね。
 

 (更に更に穿ちをすれば、プロスポーツ。奴隷が解放奴隷になれる手段。というと言い過ぎか・・・・ )


 とまあ、相変わらず訳のわからない事を書きましたが、大相撲の問題の根っこには実はこの辺りの事が有りそうな気もするのですよね・・・・。















 追記、


 最近は、プロ=良いもの、正しいものといった風潮が強い気がすると書きましたが・・・・(私の子供の頃はチョット違って、プロ選手=どこかヤクザ者的といった見方もあった様に記憶しているのですがね)。

 ではプロってそもそも何なのか・・・・・。



 実は頭に”プロ”が付く言葉って結構多いのですよね・・・・。


 私が得意な?路線ですと? ・プロスティテュート=売春婦(金のため異性と寝る女)とか・・・(笑)。

 また

 ・プロフィット=利益・儲け  ・プロパー=販促員、専門職  ・プロデュース=製作者 ・・・・・・。

 それに、・プロフェッショナル=職業的


  なんとなく銭金の香りが・・・・・。


 そして、プロテスタント。


 まあ、この辺りがスタートの様な気はします・・・・。(プロフェッサーなんかも)

 
 いってみればプロテスタンティズム=蓄財主義ともいえるわで・・・・。

 まあそういうことですかね?



 

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